AIが人間より多くの知識を持つようになったとき、人間に残る価値はどこにあるのでしょうか。
それは「知識」以外の何かなのでしょうか。
それとも、人間の価値というもの自体をもう一度考え直す必要があるのでしょうか。
そうた
多くの人が思いつかなかった新しいアイディアやクリエイティブな作品、その人だけがもつ個性は人間にしか生み出せないものだと思っています。

正宗(ろー)
❶世界中に存在する全ての図書館
+
❷どの図書館、どの書架、どの本、どのページに希望する情報があるかを教えてくれる司書さん
+
❸解説者
+
❹人間と情報を繋ぐインターフェース
だと考えています。
情報を探すという主体が人間にあって、問いやニーズは人間にあるので、AIは人間にとってのパートナー(寄り)だと認識しています。
(ターミネーターのスカイネットのようになったら話は別ですが)
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これは、
▸ 記憶力と知識が抜群の人
▸ 記憶力と知識は無いが、情報を丁寧にノートに纏めている人
の違いでも説明できると思いますが、頭の中ではなく、ノートに置いてある知識をどう扱うかという問題でもあると考えます。
パソコンやスマホの場合、内部のハードディスク(SSD)の容量が増えてくると、外付けハードディスクにデータを移したりしますが、本体のデータも外付けハードディスク内にあるデータも、私達は『データ』として認識しているはずです。
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なので、本質的な部分を考えると、
知的アイデンティティや価値観が関わるだけで、頭の中に入っている知識を重視している人にはAIの存在は緊張関係になると思いますが、
知識をアイデンティティにしていない人にとっては前述の❶〜❹の機能を足した便利な存在になると思います。
ただ、これはAIの登場前から既にあったことで、何をもって自分の能力とするか、何をもって“自分の”知識とするか、何をもってその能力や知識を測るか、という部分にだいぶ人間の意識は引っ張られているような気がします。
☛『個人価値』と『社会評価』は相互参照構造にあるため仕方がない。
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人間側は、人間の社会や文明のために、あるいは自己のために、問いを立て、ニーズが生まれ、ウォンツが生まれ、問題解決を行い、という営為を人類誕生のときからずっとやっていて、
その過程で火、言語、文字、数学、自動車、パソコン、インターネット…𝒆𝒕𝒄.と『ツール』をたくさん発明してきていると思います。
AIもパラダイムシフト的な『ツール』ですが、あと30年もしたらこれは当たり前のツールになっていると思います。
ただ、自動車が馬車を置き換えたように、そこに携わる人は仕事を失うことになるので、当初は反発するとは思いますが、利便性という大きな波の前にはそれらの反発は飲まれるこ

A
知識とは全然違う種類の価値だと思う。

ペロちゃん

みさ

憂い顔の騎士
失敗し、挫折する、そして、新たな人間としての矜持をえるからこそ人間たりうると思う

さたさた
其処に価値があるのが人間じゃないかなぁ。
イタリアに国費で運営されてるバイオリン工房の学校があって。其処では寸法を細かく測らない。
昔ながらの基準になる棒のみで採寸してバイオリンを作ってる。大量生産の規格品は音質が99点のものが作れるけれど、その工房では80点くらいのものしか出来上がらない。ただ。稀に150点のものが出来上がる。どう計算しても無理だそうだ。
ストラディバリの音質を計算では作り上げれないのと同様に。
珠玉のものは、洗練の上に鎮座する訳じゃないんだと思う。泥臭くて矛盾だらけの中に、たまに出てくる奇跡のようなモノ。
なんか人間っぽい感じがして好きなんだよね。

Zee
AIは公開されている情報は参照できるのでそれを使って応答するに過ぎません
個々の能力以上に圧倒的な知識量ゆえに、あたかも人間より優れているかの様な理解になりますが
人間は動物なので、本を開く様にAIを使う感覚で良いと思う
またデジタル化してない昔の資料は扱い方がわからないので、教えてやる必要があり、
知識の継承が昔より効率的効果的にできる様になった
やらなくても良い作業考えず、それでもやらないといけないことをやっていけば良いだけです

サト
AIに主導権を奪われないことなんじゃないかなと思う
ちゃいる
そうでなくてもAIがいたら人間が不要なのかというと完全にNO。逆に人間が不在だったらAIは単独で存在する意味があるのかと問いたい。
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