『間違えること』は恥ずかしいことか。答えにたどり着くためのプロセスとして必然か。 貴方はどう考える?
note:
一般教育だと、『問』題を解いて、正『解』することが是とされるので、これが思考の基礎モードや価値観になりやすい。
正誤ではなく、自分の思考が一方的に評価されない『知的安全』が思考場には必要なのではないか。

🎮💧

えるえふ(↵)
トライアンドエラー上等、CPDA・KPTウェルカム、な精神ですかね。
たどり着いた「答え」にしても「【正】解」のときもあれば「【誤】解」のときもあるわけで、(なんらかのゴールが見えているなら尚更)プロセスとして試行錯誤するのは当然のことかと。

ゆーき
学生でも社会でも間違えない人が評価されるので恥ずかしく思わせられる環境の中で生きている。
大人になって自分のやりたいことをやっていると間違える事で得ることの大切さもわかるのでネガティブに考えなくなりました。

sin
1つの問いに対して、1つの答えを求める問題では間違いと言う概念が生じます
正解を答えさせると言うよりも、その問いから何が求められるのか、自由な発想や自由な組み合わせは人それぞれ違ったものになります
計算問題でも言えるの?
2×3=⬜︎
答えは6
7と答えれば間違い、一つの答え
⬜︎×⬜︎=6 とすれば
1と6
2と3
3と2
6と1
四つの答え
つまり、問い方次第で間違える概念というよりもあなたはどんなプロセスで考えますかと言う問い方になるかと思います

たくひら
ソクラテス:「私は何も知らない。私は何も知らないということは、私は正解を知らない。正解を知らないのだから私は間違えようがない。もし、間違えるとするならば、正解を知っていると誤解しているから間違えるのだ」
さすが、ソクラテス先生、非常に簡潔です!ありがとうございます!!!

Leaves
人は間違えて、何がいけなかったか復習して次のステップへ繋がると私は思います。
恥ずかしいと思う事も間違いでは無いと思います。他人と比べ他の人は出来てるのに…どうして気付かなかったのか?とその思考も次へのステップなのでは無いでしょうか?

くま
そもそも別の問題だと思います。
まったく恥ずかしくない間違いもあれば、
「これは恥ずかしい」と思うような間違いもあります。
逆に、正解でも恥ずかしい場合がありますし、
一般常識から外れることを恥ずかしいと感じる一方で、
その一般常識そのものが、後から考えれば恥ずかしいこともあるでしょう。
そして、人間が考え、判断し、行動する以上、
間違いは避けられません。
それどころか、正解することより、
間違えることのほうが、
その後の進歩や成長につながることもたくさんあります。
大切なのは間違えないことではなく、
間違いに気づき、なぜ間違えたのかを考え、
次に生かすことだと思います。
むしろ「自分は正しい」と思い込んで、
間違いから学べなくなることのほうが問題ではないでしょうか。

mon

コパ🔍
間違ってもええんよ
何を間違えたかを気付けば
失敗してもええんよ
それを繰り返さなければ
それが正解なんや
気付いたら行動に移す
それが出来れば最速の最適化
スピード重視で行くなら失敗は恐れない
急ぎ過ぎてもあかんな
と思うなら
着実に進めばええと思うよ
ただ気付いたことは活かさないとね
まだ間に合うなら挽回する勇気を持とう
間に合ったならそれは成功
成功体験を積み重ねよう
それが自分を高める近道
自分に自信を持ちたいなら
失敗から学んで行動あるのみ

レタス
答えに辿り着くまで伸ばしたプロセスとしても必須でもないから間違えない方がいい
まあそんなことできる人はいないから
恥ずかしいけどみんな通る道
もっとみる 





