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森で木が倒れたとき、誰も聞いていなかったら音はしたと言えるのでしょうか?

しー

しー

それを聞いどうする??
哲学哲学
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風の音

風の音

山登りをしていると、サクッ…サクッという落ち葉を踏む音や鳥達の鳴き声と共に、時々“倒れている木”を見かけます。
そのときにどんな音がしたのか、聞いていない俺にはわかりません。
公衆電話のボックスのなかで誰かが楽しそうに話をしていますが、俺にはなにも聞こえません。
となり街の道路工事で、ドリルで穴をあける音や重機の騒音が響いていたとしても、俺には聞こえません。

自分視点で答えるとき、俺は「そんな音はしなかった」「聞こえなかった」と答えるでしょうね

しかし、地球に空気がある限り、自分や他人が聞こえなかったとしても「音はしている」のでしょう。
身の回りや学習などで得た情報・知識が、個人それぞれの「世界」なんだろうね。

過去や今が辛くても、身の回りになにか「音」が発生するかもしれない。
体験や学習、悩みの一時停止などで「世界への視野」を拡げていくほど、どこかの音が聞こえてくるのでしょう[照れる]
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しょうゆ

しょうゆ

誰も聞いていなかっただけで音は存在した可能性のほうが高い。程度はあれ無音はあり得ない。音がしたかどうかだけを事実として第三者目線で尋ねられたら「したであろう」という予想。事実その場にはいないからね[ほほえむ]その場にいて聞こえていなかった人の状況がわからないからなぁ(耳栓してた?耳が聞こえなかった?他に意識をやっていた?木が倒れる音が聞こえないくらい賑やかななにかがあった?)
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かず

かず

量子力学でも、小説でもそれが問題。芥川龍之介の『森の中』
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hinazukiP

hinazukiP

木が倒れた時は、物理現象として必ず音はする
誰も聞いていない時は、音がしないのではなく、(音はしたけど)聞こえなかったになる
これは、人含めてあらゆる物事に置き換えても一緒だと思う
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キノ

キノ

物理学的にいえば、音は振動。
だから、音はすると言えるんですよね。
音が聞こえたか、聞こえてないかではいえばもちろん聞こえてない。
この場合、音はないと。
つまり、言葉の定義の話だと思うんですよ
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ソナ

ソナ

「音がした」というのは聞く人がいて初めて成立するので、誰も聞いていなかったら「音が無い」と言える。と思う。
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シフ

シフ

『誰も』というのは人間だけ?
動物だっけ音によって反応するぞ?
人間特別視しすぎじゃない?
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はち

はち

 これは存在の有無をどう考えるのかという深い問いだと感じた。質問主さんのコメントのとおり、この問いは「(人間が)経験されない世界は存在と言えるのか?」という哲学的な問いに繋がってくる。
 私の意見としては、音はしたと言えない。なぜなら、音がしたと言う主体は人間であり、その主体である人間が音を認識していなければ音がしたと言う者がいないからだ。
 この問いの論点は、存在を「絶対的で静的なもの」であると考えるか「相対的で動的なもの」と考えるかであると思う。前者のように考える人は観測者がいる・いないに関わらず、音そのものは発生しているのだから音はしたと主張し、後者のように考える人は観測者である人間が認識していないので音がしたとは言えないと主張するだろう。私は後者である。
 前者のように考える人に問いたいが、「音そのものは発生している」と一体誰がどの目線で言っているのだろうか。その場に居合わせた人間以外の生き物?原子などの量子?神的な視点?または観測者など存在しなくても音がしたと言える?この問いの中では音が発生したと第三者的な視点で認識することができるが、実際は人間は誰も認識していない。にもかかわらず、我々人間が音が発生したと言えるわけだ。
 存在の有無を決定するのに人間を中心に置くべきなのか、そうすべきでないのか。実に興味深い問いである。
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ぬらぺっちょ

ぬらぺっちょ

私の発言を誰も聞いてなかったら、私は発言してないのか?
私が感じた事を表現する術が無かったら、私は感じてないのか?
私が生まれて死んだ事を誰も憶えてなければ、私はいなかったのか?
人類の化石を未来の知的生物が発見することなく、地球が無くなり宇宙も終わったら、人類はいなかったのか?

だから森で音がしたんじゃないの?
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