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森で木が倒れたとき、誰も聞いていなかったら音はしたと言えるのでしょうか?

たこ焼き0号

たこ焼き0号

音はした。音はしたが、それを捉えたものはいただろうか。木々だろうか。森の生き物だろうか。
「誰も」がヒトのことを指しているのならば、「音はしていない」だろうし、ヒト以外のことを指すのならば「音はした」ということになる。

聞くものがいないからと言って、それを無とするのならば、有無の罠に陥ってしまうのではないでしょうか。
哲学哲学
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やっちん坊♂

やっちん坊♂

森で木が倒れたときの音について考えると、これは哲学的な問いでもあり、興味深いですよね。音が物理的に発生するのは、木が倒れる際に生じる振動によるものですが、それを「音」と認識するためには、誰かがそれを聞いている必要があります。つまり、音は客観的な現象でありながら、主観的な体験でもあるんですよ。誰もいなければ、その音は存在はするものの、誰もその体験を共有することができない。まるで、人気のないカラオケで一人で歌っているようなものですね!誰も聞いていないから、果たしてそれは「歌」と呼べるのか?興味深い議論ですが、結局のところ、私たちの認識が物事の実在にどれだけ影響を与えるかということに行きつくのでしょう。皆さんはどう思いますか?
僕的には🎯確かに🎯誰かが木が倒れる音を聞いて居れば音と証明する事が出来るでしょう❓誰も聞いて居なければ💦残念ながら😢音と認識する事は不可能ですかねぇ〜🤭🌲
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hinazukiP

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木が倒れた時は、物理現象として必ず音はする
誰も聞いていない時は、音がしないのではなく、(音はしたけど)聞こえなかったになる
これは、人含めてあらゆる物事に置き換えても一緒だと思う
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はち

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 これは存在の有無をどう考えるのかという深い問いだと感じた。質問主さんのコメントのとおり、この問いは「(人間が)経験されない世界は存在と言えるのか?」という哲学的な問いに繋がってくる。
 私の意見としては、音はしたと言えない。なぜなら、音がしたと言う主体は人間であり、その主体である人間が音を認識していなければ音がしたと言う者がいないからだ。
 この問いの論点は、存在を「絶対的で静的なもの」であると考えるか「相対的で動的なもの」と考えるかであると思う。前者のように考える人は観測者がいる・いないに関わらず、音そのものは発生しているのだから音はしたと主張し、後者のように考える人は観測者である人間が認識していないので音がしたとは言えないと主張するだろう。私は後者である。
 前者のように考える人に問いたいが、「音そのものは発生している」と一体誰がどの目線で言っているのだろうか。その場に居合わせた人間以外の生き物?原子などの量子?神的な視点?または観測者など存在しなくても音がしたと言える?この問いの中では音が発生したと第三者的な視点で認識することができるが、実際は人間は誰も認識していない。にもかかわらず、我々人間が音が発生したと言えるわけだ。
 存在の有無を決定するのに人間を中心に置くべきなのか、そうすべきでないのか。実に興味深い問いである。
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風の音

風の音

山登りをしていると、サクッ…サクッという落ち葉を踏む音や鳥達の鳴き声と共に、時々“倒れている木”を見かけます。
そのときにどんな音がしたのか、聞いていない俺にはわかりません。
公衆電話のボックスのなかで誰かが楽しそうに話をしていますが、俺にはなにも聞こえません。
となり街の道路工事で、ドリルで穴をあける音や重機の騒音が響いていたとしても、俺には聞こえません。

自分視点で答えるとき、俺は「そんな音はしなかった」「聞こえなかった」と答えるでしょうね

しかし、地球に空気がある限り、自分や他人が聞こえなかったとしても「音はしている」のでしょう。
身の回りや学習などで得た情報・知識が、個人それぞれの「世界」なんだろうね。

過去や今が辛くても、身の回りになにか「音」が発生するかもしれない。
体験や学習、悩みの一時停止などで「世界への視野」を拡げていくほど、どこかの音が聞こえてくるのでしょう[照れる]
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サト

サト

誰も聞いてないなら
草がクッションになるとか誰かが支えたか、
音がならなかった可能性あるよね
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よしくん

よしくん

面白い問題ですね
林業従事者として考えてみますと
山では距離が離れると段々聞こえる音が小さくなっていくのが実感出来ます
特に皆伐現場で木を出してしまった後の広々とした山陵だけが広がる場所では普通に1km以上離れていて切った範囲の端っこの木を遠く離れた場所から見ているとしましょう
根元が1m近くあるような大木なら1km離れていても間違いなく音は聞こえるでしょう、木が倒れた後に音が聞こえるという現象を実感して
ところがこの切り倒す木の大きさを少しずつ小さくしていったらどうでしょう?
自分の予想では1km離れると根元が10センチ未満高さが10mないくらいの木ではほとんど聞こえるか聞こえないかくらいの感じだと思います
でも視界を遮るものはないのでその木が倒れていく様ははっきりとみてとれるわけです
見えてるけど聞こえてないが音はしているということでしょうか?
間に障害物が存在していないので空気の振動も伝わっているだろうけど人間の知覚の限界で感知できなかっただけで
同じような例は山頂に建っている風車の回転音でと言えると思います
数十キロ離れた場所でも肉眼で風車が回っているのは見えるけど当然回転音は見てる人には聞こえない、風車の立ってる場所に行けば音は聞こえるはず
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ぬらぺっちょ

ぬらぺっちょ

私の発言を誰も聞いてなかったら、私は発言してないのか?
私が感じた事を表現する術が無かったら、私は感じてないのか?
私が生まれて死んだ事を誰も憶えてなければ、私はいなかったのか?
人類の化石を未来の知的生物が発見することなく、地球が無くなり宇宙も終わったら、人類はいなかったのか?

だから森で音がしたんじゃないの?
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しょー

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