本当に理解したなら小学生に説明できる?

白旗
私科学の説明で手加減なしで説明するので

II

コーユー
私は、必ずしも「説明できる」とは限らないと思っています。
なぜなら、理解は説明する側だけでなく「受け手の理解力」にも左右されるからです。
極端な話、猫や赤ちゃんにどれだけ丁寧に説明しても伝わりません。これは説明が悪いのではなく、受け手の言語能力や理解力の問題です。
また、理解は「ある・ない」ではなくグラデーションだと思っています。
言葉を知っているだけの段階もあれば、説明できる、判断に使える、応用できる…と段階があります。
さらに、経験がないと理解しにくいこともあります。例えば「二日酔い」。小学生はお酒を飲んだ経験がないので、状態は想像できても本当の意味で理解したと言えるかは微妙です。
私は「言葉を理解する」とは、その言葉が指す概念を認知できていることだと思っています。
そう考えると、小学生に限らず、大人でも説明だけでは理解しきれないことはあるのではないでしょうか?

はち
私はそれは厳しいのではないかと思う。もちろん、簡単な概念のみで形成された物事の理解や、物事を平易にして難解な部分を省略して分かりやすい形での理解をしてもらうことは可能だ。しかし、それは果たして本当に小学生がその物事を理解したことになるのだろうか。難解な物事は積み重ねであることが多い。ピラミッド構造の頂上を理解するのには、下の段から徐々に理解を積み上げなければならない。算数の知識のみで数学の難解な問題を本当の意味で理解できるのか?否、できない。母国語ですらままならないのに外国語を理解できるのか?否、できない。本当に理解した者だとしても、小学生にその物事を本当の意味で理解してもらうのはその物事が難解で複雑なほどできない。その物事の理解までに積み重ねなければならない別の物事の理解が多くあるからである。

ナトル

ぬらぺっちょ
それに説明は相手が理解する能力が必要。
発達段階でまだ獲得してない能力に説明しても無理。
算数をニワトリに説明してもニワトリは理解出来ない、そもそもニワトリは人間の言語を理解する能力を持ってない。

風の音
簡単な例では、バイクに乗ったことの無い大人や過去に怖い体験をして怖い乗り物とインプットしている相手に「バイクの楽しさ」を説明しても、真に理解できません[にこやか]

正宗(ろー)
アインシュタイン自身、相対性理論を本当に理解している人は少ないと言っており、
定義を暗唱し、計算はできても、相対性理論の概念そのものを理解している人は学者でも少数であることを感じていたようです。
定義は辞書的に覚えることができ、問題も数学的知識があれば解けるのですが、概念そのものを理解している人は写像を使って、構造を写像したアナロジーを用いて分かりやすく説明できると考えたら、小学生にも説明できる…となるので、『理解した気になっている』ことへの戒め…未満の詩的表現だと考えました。
表出型言語症の方に顕著なのですが、意味は理解していても、それを言語で表出するのが苦手な方もいるように、
概念を理解していても写像操作や、相手の認識レベルに合わせて概念を翻訳する操作は、概念理解とは異なる能力なので、必ずしも小学生向けに説明できるとは限らないとなるのですが、詩的表現や碑文としては、これはとても素敵な言葉だと思います。
アインシュタインの時代には悪魔の頭脳とも称されたノイマンが居て、アインシュタインが数学を苦手とするところ、ノイマンは数理に優れていたので、“調子に乗った”ノイマンの姿も多く見ていたと思います。
アインシュタインのことを詳しく調べたことはないので、どのような心情や意図でこの言葉を使ったのかは分かりませんが、
私自身も人に説明できる状態になってこその理解だとは、自分の理解度を測る上での1つの基準にはなっています。
アインシュタインが数学が得意では無かったなんて意外ですよね。

