問い続けることは、答えを出さないままでいることの正当化になり得るか?
迷い続けることは思考の深化か、それとも決断の回避か。答えを出さずにいることは誠実なのか、それとも逃げなのか。

꙳𓂅kaii.🌺𖠋ᐝ
個人的には問い続ける事こそ
生きている証と思っています。
疑念や疑問を持たなくなったらつまらない。
「悟り」は必要と感じるけれど、凡人が悟りの境地に立てるかといえば…部分的には可能?とか[照れる]
「答え」なんて自己満足できたかどうか。
そんな程度にしか思っていません。
と、今日はこんな感覚です🌿

翔太郎
後者の場合、どれだけ考え続けても明確な答えに辿り着かない問いが存在するのも事実だと思います。そのため、「問い続けること」自体が必ずしも答えへ向かう行為とは限らず、ある段階で「現時点では結論を出せない」と判断することも、一つの思考の結果と言えるのではないでしょうか。
ただ一方で、問い続けることと、答えを出すことを避け続けることは必ずしも同じではないようにも思います。前者が探究である場合もあれば、後者は決断の保留として機能してしまうこともあるかもしれません。
今回の質問にある「問い続けること」とは、一つのテーマを掘り下げ続けることを指すのか、それとも複数の可能性を検討し続ける姿勢を指すのか。また「答えを出さないままでいる」とは、まだ結論に至っていない状態なのか、それとも選択をあえて留保している状態なのかによって、その評価は変わってくるように感じました。
問い続けることが思考の誠実さになる場合もあれば、逆に結論を先送りする理由になってしまう場合もある――その境界がどこにあるのか自体が、今回の問いなのかもしれません。

しろやぎ
自己擁護w

憂い顔の騎士
大事なのは、答えをだすまでの過程で、どれだけ思考することだと思います。思考することが、人間である証だと思います。

風の音
タイムリミットが設けられていない場合、日々の24時間をそれを考える時間に割り当てる訳だから「思慮深い」と見なされると思います。
ただしその内容がネガティブ、かつ、解答に向かわないものは例外です。悩めば悩むほど深淵に引きずり込まれてしまうので、「今」を共有できる多くの仲間を求めましょう

若
『禅』の考えと同じく、その時その時の、時代や状況に応じての答えを出してゆくことが肝心であり、それがベストとせず、よりベターに、更にベターな答えを求めていく事が、『問い続ける』ことの意義であり、真っ当な形ではないかと思います。
( ˘ω˘ ) ウム…

くち
ただ、明確に答えを出さねばならない状況で相手に対して問い続けてる状況が本人の意思は決まってて答える事を先延ばしにしたいからなら回避なのでは?
その問いで答えが変わる可能性があって、思考するための材料を求めるのであれば正当である可能性もある。最後に答えを出すのであればね。

むかで
「死とは何なのか?」という問いは皆んな抱えながら死にます。それは逃げでも何でもなく、どう生きるか?の根源的な動機だと思います。

夏休みの最終日
はたしてこの答えは正当化された答えなのか、そうでは無いのか……

サイゼの小エビ
誰かが回収する可能性もあるから、問いを自分が回収できないからといって価値がないと思う必要はない
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