言語化されない「認識」はあり得るか?
痛いは感覚、不安は感情。これらは「認識」ではないと思うのですが、どうでしょう。

地球さん

ペンペン
いや、人の心は複雑なのであってもおかしくないと思います

正宗(ろー)
認識は可能だけども、言語化しようとすると絶対的無になりません。
言語化しようと思ったら絶対的無を客体化しているので、客体化できるということは絶対的無ではなくなってしまうためです。
語りえぬものは…
あとは概念“未満”の未分節状態ですとか。
将来的に言語化されたとしても現時点で未分節だと言語化されないと思います。
AIのハルシネーションという概念はここ最近誕生したものですが、認識自体は存在していたと思います。
LGBTQの概念が生まれる前のその認識とかも該当するでしょうか。
なので、回答としては、絶対的無と未分節状態、誕生日前の新概念を挙げます。

豆腐の人生
暗黙知を形式知に変換する作業は大切なことではあると思います
哲学は、その試みでもあると思っておりますが、文学はメタファーでそれを成し、科学は数値によって証明する行為なのだと思います

憂い顔の騎士
あるのでは?

KINO KO
でも認識は対象を捉えている状態と言われます
言語化できない認識は多数存在するはずです

シフ
でなければ赤ん坊がどうやって物事を認識するんだ。
というか、『言語化するのに認識が必要』です。
腹減ったいう言語があって認識するんじゃない、腹減ったという肉体のシグナルを認識してそれを空腹と言語化することで『明確化』しているだけ。

白鴉🐦⬛

はる

はまっち
もっとみる 




