納得と真理はどちらが人を生かすか?
客観的な真理と、主観的な納得。人が前に進むとき、本当に必要なのはどちらなのでしょうか。

のぼ
どちらで動くか想像した時、納得が大切かなと思います。
さらに最期も納得を大切にして旅立ちます。
好きな介護士や看護師のいる時や家族が来てくれた時、食べたかったものを食べられたとか触れられた体験できた時。
真理を軸に、納得で物事は動くようです。

風の音
人は「納得」して初めて次の一歩を踏み出せる。
例えその納得が自分にとって不本意なことや否定的なことであっても「受け入れはしないけど前に進むしかない」と納得して前進する。
「人類の進歩や発展」の意味での「前進」なら、「真理の追求」の副産物が技術や発明のきっかけになるので「真理」を選びます。
単純に「どちらが人の命を長引かせるか?」という意味の問いなら、「真理」は「納得」の繰り返し(探求)の対象であり比較対象としての同等性は無いと思います。
それでもあえて言うなら「納得」で、過去の偉人がどれだけ真理を唱えても「異教徒」として「納得されず」処刑されたりする。
「あなたはあと100年経てば この世にいない」
と真理を言われるより、この先本当ならすごく楽しい人生に向かっていく」予定だった人生も「自分の人生に納得できない」人たちの何人かは生きるのをやめる。
生きるも死ぬも「納得」の方が対象となる人に影響を及ぼすと思います
たれぱん
「納得」・「真理」も何に対しての「納得」・「真理」なのか対象が必要です。
その対象を充実した人生に合わせて「幸せ」として考えてみます。
「幸せ」が対象の「納得」は、、、
認識と言うか、腹落ちできていると考えると、「幸せ」であると言えそう。狙ったものではなく、気づいた感がある。受動的要素を感じる。
満ち足りている感じで、完了していながら、継続性も感じられる。
「幸せ」が対象の「真理」は、、、
探し求める感じがする。自発的要素を感じる。
「幸せの真理」を発見、または、到達したとした時に、それは本人が本当に「幸せ」と言えるのか?
「幸せ」は気まぐれなので、見つけたかもしれないけど、次の瞬間に姿を変えているかも、、、
追い求め続ける感じかな。
例として、美味しい料理を食べたときが「納得」で美味しい料理を見つけたのが「真理」かな。
私は「納得」した人生を選びたい。

よんちゃん

SUZUME
・幸せを追求する
・全力の先にある事で
後悔しない事と
真の正しい課題が見える事
を重視していますので、
後悔しないための方法と
行動における
『納得と真理
(真実・客観的事実)の割合』は、
納得(自己納得・主観的満足)が
80%〜90%、
真理(客観的事実・正解)が
10%〜20%
の割合で構成されていると
考えます。

グレイ
世界は人の為にあるわけではないので、真理が残酷だった場合はそれを悟った人間が死を選ぶ可能性すらある。
生きるということを主眼に置く場合、真理を探求するよりは例え欺瞞でも自分を納得させるほうが当然有為である。

〆さば
よく大切なものをと真理を天秤にかける思考実験をする。少なくとも私には宇宙の真理を知る代わりに目の前で我が子の命が失われるなら我が子を取る。例え真理を知る事で我が子を守る事が無意味な事であると認知できるようになるとしても、手に入れる前の選択段階では納得と言わざるを得ない。

🐾たび×2🐾
納得は死につながるかな
真理は渇望

ナトル
だるま落とし
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