法を社会の規範と仮定した場合、❶法が古いとき、❷法の網の目の隙間が規定されていないとき、人間は、個々の事象を、何を基準に善悪を判断すれば良いのか
マジョリティ、感覚、価値観、自己の感情や倫理観、師の教え…𝒆𝒕𝒄.
また、これらが衝突した場合はどのようにすべきか、あるいはしないべきと考えるか
👉️深い思考も、私はこう思う!も、いろいろな回答形式で大丈夫です

51号線

ジゴロ❤️🩹🥺

きのこ
法って意外と、キリスト教や仏教、儒教などに影響を受けてたりする。
そこからの判断(?)じゃないのかな。
今は無いんだけど、禁治産者制度、というのがあった。
これは、乱暴に説明すると「ボケてきて財産を崩し過ぎる身内を法的に拘束して、家の財産を保護する」とかそんなところ。
本人の同意無しで、(後見人制度よりも)比較的簡易に出来た筈。
家制度があった辺りの話なので、個人よりも家が尊重されていた頃の話。今だと、個人の自由とやらで話は異なるけど。
善悪以外の判断も必要ですね。

風の音
ずる賢い人間は、どちらのケースにおいても、また、現行の法律であっても「それが裁判にかけられた時に逃れられるか否か」で善悪を判断します。
一般人が一円でも税金の取り立てがあるのに対し、政治家は何億円もの裏金をバレたら「収支報告書の訂正」だけで逮捕されない、みたいな感じです。
彼らは倫理的に「悪」と認識しつつ、「犯罪構成要素」の「善悪」を基準に判断してるのです。
そういった悪い連中ではない一般人の場合、「道路交通法の改定」を知らずに乗ってて捕まる等、「善と思ってたのが悪だった」と言うケースがあるように、そうしたことを意識することなく生きてる人がいるので(たぶん法律を学ぶ人のほうが少ないのでは?)「個人的倫理観」を基準に行動すると思う

駄犬隊長

ナトル

りょうた

wato (わと) 🐶

コバンざめ
そのまま受け入れる。善悪は自分の好きな基準で判断するしかないかも。あと多くの人が採用している基準を選ぶと失敗しにくいかも。道徳とか
たろう☸️
人が「従って良い」「受け入れて良い」と判断する基準(正当性)に分類があるみたいです
1.伝統的正当性
昔からそうだった
2.カリスマ的正当性
イーロンマスクが言っていた事を鵜呑みに信じるなど
3.合法合理的正当性
ルート的に正しい事をする
これらの分類は善悪の判断基準にも使われているかと思います
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