哲学は学問か。それとも能動的営為か。あるいは、哲学者たちの能動的営為の歴史か。私はこう考えている。哲学が「学問」になるのは、後から整理されたときだ。体系化され、分類され、大学の講座に並んだ瞬間、それは知の地図になる。でも、はじまりは違う。哲学はいつも、「どう生きるか」という切実さから始まっている。世界はなぜあるのか。正しさとは何か。私は何者か。この問いを、誰かに委ねず、自分で引き受けること。それが哲学の能動性だと思う。そして歴史とは、その能動の痕跡。ソクラテスの対話も、スピノザの幾何学も、ハイデガーの存在の問いも、誰かの切実な引き受けの記録。だから哲学は、学問であり、営為であり、その営為の連なりでもある。けれど中心にあるのは、いつも「いま、問いを引き受ける私」哲学は保存された知識ではなく、引き受け直される構造だと思う。