哲学は学問か?能動的営為か?哲学者の能動的営為の歴史か?

ワテクシ
視点次第

憂い顔の騎士

ナトル

II
そう割り切れる程度の知性しかありません。

なつめ🌷
それとも能動的営為か。
あるいは、哲学者たちの能動的営為の歴史か。
私はこう考えている。
哲学が「学問」になるのは、
後から整理されたときだ。
体系化され、分類され、
大学の講座に並んだ瞬間、
それは知の地図になる。
でも、はじまりは違う。
哲学はいつも、
「どう生きるか」という切実さから始まっている。
世界はなぜあるのか。
正しさとは何か。
私は何者か。
この問いを、
誰かに委ねず、自分で引き受けること。
それが哲学の能動性だと思う。
そして歴史とは、
その能動の痕跡。
ソクラテスの対話も、
スピノザの幾何学も、
ハイデガーの存在の問いも、
誰かの切実な引き受けの記録。
だから哲学は、
学問であり、
営為であり、
その営為の連なりでもある。
けれど中心にあるのは、
いつも「いま、問いを引き受ける私」
哲学は保存された知識ではなく、
引き受け直される構造だと思う。

たか
ヤスパースが良いよ。
kino

バートルビー

しー

SSかずのり
正直、もう公共の場での哲学は、コンテンツか哲学学でしかない。
しかし、幸いなことにふとした日常では、哲学はまだ続いている。この星とかね😉
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