人類はいつか、すべてを言語化できるか?
世界の中に、原理的に言語化できないものは存在するのでしょうか。それとも、言語の限界は時間とともに拡張されていくものなのでしょうか。
阿禮🧙🏾♂️✌🏾☮️🌳
道具だらけにしてどうする

むむ
最後の言語もAIによって消滅するという人もいますね。

꙳𓂅kaii.🌿𖠋ᐝ
日本語では表現しきれないモノがあったり、
解釈の相違が争いごとに発展したり。
個人的回答は「できない」だと思っています。
特にAIに頼り始めた現代以降、
此処の脳がどう変化してゆくのか気に掛かります。
mistral
ただし、完全補完はできない

憂い顔の騎士

SORA777

正宗(ろー)
なので、人類の滅亡や宇宙の終焉が停止条件という制約をどう捉えるによると思います。
➔人類が行う言語化作業を人類滅亡後もAIに行わせる場合等
概念体型が更新され続ける性質があり、森羅万象に包含されるあらゆる概念の全部または一部が差延的性質を持つ可能性があり、概念体型の更新が無限に行われる可能性があります。
ただ、これらの仕組みとは別に、言語化という営為に関しては『打ち止め』が可能です。
言語化は能動的営為ですから、この能動的営為をやらないと決定した時点で、この決定の永続性が担保されれば能動的営為である言語化はそこで完了となります。
➔未来語彙を用いない◯◯族は言語化を“完了”している。
絶対的無は、その性質的にあらゆる体系内に包含できないので、言語体系の中に包含もできず、性質的に言語化は不能になります。
言語化という能動的営為を行おうとすれば、絶対的無を客体化することになるので、客体化された瞬間に、あるいは客体化操作をしようと企図した瞬間に、あるいは客体化操作を企図しないという態度を決めた瞬間に、絶対的無が崩壊すると解します。
でも、絶対的無を哲学的記号として∞と置いてしまえば、言語体系の中で扱えない概念として、言語体系の中に無理やり組み込むことはできますが、この操作が許されるかはその時点での哲学観や哲学者の判断に委ねられることになるので、可能性でしかないと思います。
哲学自体も差延的性質を持つように感じます。

ケニー
そもそも言語は楽譜みたいなもので、どんなに細かく書き込んでも細かいニュアンスとか解釈は表現者によっても変わるし、
聞き手によっても変わってしまうので、
現状では「正確な言語化」というのは境界線のないグラデーションでしか存在し得ない性質があると思います。
極端な話、「大っ嫌い」という言葉の意味が「大好き」にもなり得るので。
「言葉で伝わること」と、
「言葉以外で伝わること」
の役割が今よりはハッキリはするのかなぁ、と予想しています。

コーユー
ポイントは、「言語化」とは何を指すのかです。
もし言語化を「ありのままを完全に再現すること」と定義するなら、すべてを言語化するのは難しいと思います。言葉はどうしても抽象化ですし、現実のすべてを丸ごと保存することはできません。(これが前の回答)
しかし、もし言語化を「指し示すこと」「ラベルを与えること」まで含めるなら話は変わります。
「すべて」という言葉は、すでに全体を指し示していますし、「原理的に言語化できないもの」という表現さえ、言葉で語れています。
つまり、どこまでを“言語化できた”と認めるかで、答えは変わるのだと思います。
私は今のところ、「完全再現はできない。でも指し示すことはできる」という両方の立場のあいだで揺れています。

コーユー
まず、言語化とは“完全に再現すること”ではなく、“抽象化して表現すること”だと考えています。
言葉にする時点で、私たちは現実の一部を切り取って整理しています。つまり、必ず何かを削っています。美しい大自然をどれだけ言葉にしても、「ありのまま」を丸ごと保存することはできません。
さらに、言語は人間の認知の中で生まれます。
もし私たちがそもそも認知できないものがあるなら、それは言語化もできないはずです。言語はどこまでいっても、人の理解の枠の中にあるものだと思っています。
一方で面白いのは、私はすべての言語のイメージ化も難しいと考えています。
例えば、量子力学の多世界解釈の状態ベクトルは数式で表せますが、それを直感的な「絵」として想像することはとても難しいです。
だから私は、「すべては言語化できない」と思いつつも、この“言語とイメージの行き来”そのものにとてもわくわくします。
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