心は事象として存在するのか。主体の認識の中に存在するのか。

ラズー
だから疲れる。

j

ゼブラ
心と認識はたまごと鶏と同じでは?どちらが先か?と同じと思うが?

げん

もちょ
世界基準では事象として記述できるが、私にとっては主体の認識の中にしか現れない。

くま男爵

おとこ
ただ、心を信じられない人は人ではない

そうじろう
どれにするかなんよ[ハートポーズ]
意外とメニュー悩むん僕だけ[え]

はかり
更新される事を考えるとそれを出力する構造はソフトウェアと言えるでしょう。
心の様相を客観的にみて表出しているように見せる物が物体として存在する。
という答えはどうでしょう。
ガワ
心とは”事象が認識となり、認識が事象となる、その絶えざる往復運動そのもの”
心の所在を固定すべきではない。
事象であり認識なのだ。
耐えず動き、変容して行く、この世界の万物はその理の中に存在するのであって、心とは我々が変容して行く様そのものを指すである。
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