自然とは何だろう?
自然科学者が研究の対象としている自然を物質的自然と呼ぶことにする。この自然について、自然科学は暗々裏にこう思っている。始めに時間空間がある。時間空間とは何かは普通説明しない。その時間空間の中に物質というものがある。その物質の一部が自分の肉体すなわち自分である。かような物質的自然で一切の説明がつくとしか思えないのを物質主義と言うことにする。物質思想なら単にそういう思想だが、物質主義となると、そうとしか思えない。だから反省は加えない。では、物質主義は正しいのか、間違っているのか。

ヒロシ
人間とは自然的存在であるとともに社会的存在である、稀有な例です。

EuRi
たとえ人工的とされるものでも、人間が自然生物である以上全ては自然。
ロマン主義は自然(原始)を至高とし、人為を退化と見るが、その切り分けができると思ってる時点で誤謬まみれだ。また、多くの自然倫理もこの神話に頼っている部分があり、間違っている。
リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』でミーム、つまりは技術や言葉を含んだ文化的な遺伝子について語った際、彼は鳥にもそれが存在することを指摘した。
つまり人為の他にも鳥為はあり、その他の生物にもそれがあるはずである。この辺りから、人間の成すこと含め、全ては自然と言えると考えられる。

山田
という問いですね。
私は、物質主義は自然科学の有効な方法論的前提としては正当ですが、それを学問全体の最終的・排他的な世界観として絶対化すれば学問的に正当化されなくなると主張します。
実情として、自然科学の目覚ましい成功ゆえに、この限定的な前提が、しばしば形而上学的な真理へとすり替わっている点に本設問の問題意識が所在しています。
ここで問うには少し高度過ぎるかもしれません。

グリーンぺぺ

憂い顔の騎士
私はそうではないと思います。言語化できない何かが「在る」と思います

仁

もん
それくらい単純
時間は人が観測した時にだけ発生すると思うので常に空間に存在してるかのような発言を見ると
興が削がれるので聞きたくは無い。
時間じゃなくあるとすれば圧縮と劣化ですね。

風の音
・風景等の「自然」
人工でないもの。つまり、人の手が介入していないもの。建造物は当然のこと、山でも伐採などの手が加わった時点で‛厳密には‛自然ではなくなる。
・人間の生き方における「自然(自然体)」
人工に例えると、自分の気持ちや考え、状態、に手を加えない‛素直な‛生き方。ありのままの自分。
それらに対し「我慢・忖度」「自己否定」「自己嫌悪」などの手が加えられると自然体ではなくなる。
つまり、ありのままの自分でいられず‛苦しみ‛‛我慢‛‛苛立ちや‛鬱‛などの心のストレスが溜まり、行動に歪みが生じる。
相手を攻撃したい、自分の欲に素直でいたいなどの個人欲求に制限がないとスラム街のような状態になってしまうため、「法や倫理」などで社会的秩序を保っている。
個人的考えだが、脳から直接外界に飛び出ているのは「目」なので、‛不自然‛な時は「目」の変化として現れることが多いと思う。
「目は口ほどに物を言う」。相手の目をよくみて普段と違わないか注意しましょう

雪の結晶

リキ
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