自然とは何だろう?
自然科学者が研究の対象としている自然を物質的自然と呼ぶことにする。この自然について、自然科学は暗々裏にこう思っている。始めに時間空間がある。時間空間とは何かは普通説明しない。その時間空間の中に物質というものがある。その物質の一部が自分の肉体すなわち自分である。かような物質的自然で一切の説明がつくとしか思えないのを物質主義と言うことにする。物質思想なら単にそういう思想だが、物質主義となると、そうとしか思えない。だから反省は加えない。では、物質主義は正しいのか、間違っているのか。

死に損ないのふらふら

山田
という問いですね。
私は、物質主義は自然科学の有効な方法論的前提としては正当ですが、それを学問全体の最終的・排他的な世界観として絶対化すれば学問的に正当化されなくなると主張します。
実情として、自然科学の目覚ましい成功ゆえに、この限定的な前提が、しばしば形而上学的な真理へとすり替わっている点に本設問の問題意識が所在しています。
ここで問うには少し高度過ぎるかもしれません。

憂い顔の騎士
私はそうではないと思います。言語化できない何かが「在る」と思います

風の音
・風景等の「自然」
人工でないもの。つまり、人の手が介入していないもの。建造物は当然のこと、山でも伐採などの手が加わった時点で‛厳密には‛自然ではなくなる。
・人間の生き方における「自然(自然体)」
人工に例えると、自分の気持ちや考え、状態、に手を加えない‛素直な‛生き方。ありのままの自分。
それらに対し「我慢・忖度」「自己否定」「自己嫌悪」などの手が加えられると自然体ではなくなる。
つまり、ありのままの自分でいられず‛苦しみ‛‛我慢‛‛苛立ちや‛鬱‛などの心のストレスが溜まり、行動に歪みが生じる。
相手を攻撃したい、自分の欲に素直でいたいなどの個人欲求に制限がないとスラム街のような状態になってしまうため、「法や倫理」などで社会的秩序を保っている。
個人的考えだが、脳から直接外界に飛び出ているのは「目」なので、‛不自然‛な時は「目」の変化として現れることが多いと思う。
「目は口ほどに物を言う」。相手の目をよくみて普段と違わないか注意しましょう

仁

〆さば

てす人
正しいとは何にとってかによると思います。超自然的な視点が存在し、それから見て正しいか、という話であれば間違っていても、人はそこに至ることは出来ないので今の視点から見える法則を求めることは正しいのかなと。
ガワ
前提でテメェ勝手に散々制約かけといてそれはねぇだろww
聞き方が分からないんだな?
えーコレは正しいか間違ってるかはお前が提示しろ。
そして反論があるかを問え。
それでコミュニケーションが成立する。
Q&Aのレベルに達してないから、まずコミュニケーションな?w

さく

ゆとり
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