まず「哲学」って何でしょう?
哲学に判定って存在する?しないもの?
「これは哲学ではない」とか。
あるなら、どこからが哲学の判定という認識?

小國(おぐに)

シズ
「時代によって答えが変わる」学問とも言える。
本当に答えは変わるのだろうか
大きく分けて二つの立場があります。
相対主義において
真理や価値は時代・文化によって変わる。
例えば
奴隷制度は古代では正当化された
女性参政権は近代まで認められなかった
倫理観は社会によって異なる
この立場では
「答えは時代とともに変わる」
普遍主義においては
真理は変わらない。
人間の理解が変わるだけ。
例えば
2+2=4 は時代で変わらない
人間の尊厳は本質的にある
善悪には普遍的基準がある
この立場では
「答えは変わらない。私たちの見え方が変わる」
結局のところ哲学の面白いところ
哲学は、「答えが変わること」自体を問題にします。
例えば
なぜ時代によって正義が変わるのか
変わるなら、それは本当に正義なのか
変わらないものは存在するのか
歴史的に見ると
古代:真理は神や自然にある
近代:理性にある(デカルト・カント)
現代:言語や社会構造が真理を作る(フーコーなど)
つまり、
「答えは変わる」と考える思想もまた、時代の産物ではあるかと。
哲学は「答えを固定する学問」ではなく、「変わる理由を考える学問」
とも言えるのでは。
ミシェル・フーコー
『言葉と物』
『監獄の誕生』
トーマス・クーン
『科学革命の構造』
リチャード・ローティ
『哲学と自然の鏡』
プラトン
『国家』
善のイデアは普遍であるという思想。
イマヌエル・カント
『純粋理性批判』
『実践理性批判』
『道徳形而上学原論』
ユルゲン・ハーバーマス
『コミュニケーション的行為の理論』





憂い顔の騎士

雨音(うと)
これはなんの現象かとか、悪霊が主人公の死者として現れるのは、主人公の罪悪感の投影であり
とか考えたりするのも、私は哲学の一種だと思ってて
なぜなら、大体の会話は何だったんだろうねーで終わったり、ランチとかでもそんなに深堀しない。
考察厨同士が集まって、その話が科学、認知学、心理学、人間学まで広がったりしたらそれはもう哲学なのでは?と思ってる

風の音
今、こうして皆さんがそれぞれの考え方を述べていること自体が哲学だと思います。
仕事などで皆が作業などあれこれ考えを述べる「意見交換」や「yesかnoか」を決めるディベート的なものとは違うととらえてます

もか
① 問いが「前提」に向いている
「それは本当にそう言えるのか?」
「そもそも、そう定義する理由は何か?」
② 理由づけ(論理)がある
なぜそう考えるのか
どの前提からその結論が出るのか
③ 普遍性を目指している
「私の場合」では終わらず
他者にも通用する構造として語ろうとしている
④ 反論を想定している
「こういう反対意見があり得る」
「それに対して、私はこう考える」
この4つが揃った瞬間、
それは個人の考えから
哲学的思考へ移行します。
ティリル
「見えないものについて考える」
これが哲学だと僕は思ってます。
例えばサッカーの試合で勝つことについて実験したりすることは哲学ではないですが「なぜ勝ちたいと思うのか」は哲学だと思います。

ぎゃくりゅうさん
そこで出した答えが真理である必要はないと思う。真理を証明する役割は「科学」だから。

こーじ

ベル
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