自己が認識する自己イメージがあり、他者が認識する自己イメージが有る。自己の本質はどこに在るのか?(本文参照)
ここに人間Aがいる。
自己が認識している自己イメージがあり、他者Bが認識しているAのイメージがあり、同様に他者Cの、他者Dの…と続く。
数百、数千人に偏在して存在する自己イメージよりも、
生物的な認知能力の限界があり、矮小な認知能力しかない人間の、たった1人の、自己の主観による自己イメージが、自己イメージの最大因子を構成するのはなぜか?自己が認識する自己イメージはどの程度正しいのか?

憂い顔の騎士

彼方

とも

夜の魚
自分のなかの世界では自分はこう見えている。
Bの世界のなかではこう見えている
Cの世界のなかではこう見えている
これが延々と繰り返されているだけ。
ただそこに在るだけ。本質なんてものはない。
或いはこう言い換えられる絵は見る角度によって見え方が異なる。それと同じ。人の見方の数だけ本質はある。

雨音(うと)
……自分を認識してる自己イメージなんて本当にあるのか?
自分が思ってる自己イメージを他者からめちゃくちゃ否定されると結局自我崩壊をして自分探しの旅に行く人もいるから
そして、おそらく人によって自分自身が思ってる自己イメージの割合も変わる。
そして私は他者から見られる自分も
自分が認識する自分も全部本当だと思う。
ペルソナっていうより
どこにライトが当たってるか
例えば頑張って堂々と胸張れる日とオドオドしてる日があってそれを別々にb.cに見られてるかもしれない
もし、見せたい自分に影響力が最大化するなら、面接の時に自分と面接官の印象が乖離するのもおかしい。
同じ格好をしてるのに人によって清楚系と認識されたり可愛い系と認識されるのも辻褄が合わなくなってくる、他者の目線で変換させられることもある
つまり
・他者像は歪む
・他者像は断片
・でも社会的評価は他者が決める
・だから自己像が常に最強とは言えない

ノエミ
そういう人間があまり独りよがりにならないように法律や宗教や文化、道徳なんかがあるのかもしれないですね。
たろう☸️
自分はこういう人であるとか、こういう性格だというのは、他者と比較して相対的に評価されてわかるものだと思います
質問に正しく答えられてるかわからないですか

たよ
つまり本質とはそれぞれが対象との間にあるものだとおもいます

太陽
本質ではありませんよ🤣
本質はいつもその人自身にあります
コレは変わらないでしょ笑
他人の中に自分の本質はないでしょ🤣

たくひら
本文は誰かのイメージを最も正しく持っているものは誰か?(何か?)と聞いていますが、掲題は自己の本質は何処に在るのか?と聞いていますね。ちなみに、イメージと本質は一般的には異なったものともされていますね。
なので、とりあえず、本文を無視して掲題の問いに向き合います。
まず前提として、自己の本質とはなんなのでしょうか?ホネットの承認論によれば、「他者からの承認なしに自己意識そのものが成立しない」という主張があります。つまり、今回でいうところの自己イメージを作り上げる際にはまず、自分がどう思うかよりも他人がどう思っているかの方が先だという主張ですね。これを援用すれば、自己と他者とのイメージは実はつながっており、衝突しているわけではないということになってしまい、掲題の問い自体が崩壊してしまいます。
その上で、私は自己の本質的イメージというものは、固定し得ないと考えているというのが答えになります。私は、自分という主体は絶対的に完成し得ないと考えています。自分・自己・主体、いろんな言い方がありますが、この本質というものは、他者や世界との触れ合い・傷つき合いのなかで変遷していくものであり、固定出来るものではないのではないでしょうか。
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