自己が認識する自己イメージがあり、他者が認識する自己イメージが有る。自己の本質はどこに在るのか?(本文参照)
ここに人間Aがいる。
自己が認識している自己イメージがあり、他者Bが認識しているAのイメージがあり、同様に他者Cの、他者Dの…と続く。
数百、数千人に偏在して存在する自己イメージよりも、
生物的な認知能力の限界があり、矮小な認知能力しかない人間の、たった1人の、自己の主観による自己イメージが、自己イメージの最大因子を構成するのはなぜか?自己が認識する自己イメージはどの程度正しいのか?

夏目
自分が知ってる自分、他人に見える自分、見える部分の自己は氷山の一角にすぎない。

くま
しかし、その本質を自分自身も他人も
完全に認識することはできません。
自分が思っている自分も、
他人から見た自分も、
それぞれが捉えた自分の一部分にすぎず、
どちらも自己の本質の
すべてを表しているわけではないと思います。

彼方

憂い顔の騎士

SUZUME
自己認識と自己イメージとは
地球上全ての人物ではなく、
『関わりその人の人となりを
感じ取る事ができた人物』に
限定された評価イメージが
正しい評価だと思います。
自己の自己イメージとの違いは
正確に客観視できていない部分と、
自分が理想とイメージし、
行動している自分と
自己の精神と欲求を
コントロールしている
本質的なベースにある自分との
差が現れているのだと思います。

とも

リズ
たれぱん
「自己の本質」に基づいた振る舞いを自分や他人が認識するイメージではないでしょうか?
「自己の本質」は生まれた時から、発生して、亡くなって終わる。でも、他者が認識していたイメージは残るって感じかな。

通行人
自分は自分。他者が認識する自分も自分。
相反するイメージだとしてもそれぞれがお互いにとってそうだと思っているんなら本質じゃん。
すり合わせしてもズレはのこるでしょ。
人間だし分かり合えはしないでしょう。
自己の本質はその人が望むところにある。

夜の魚
自分のなかの世界では自分はこう見えている。
Bの世界のなかではこう見えている
Cの世界のなかではこう見えている
これが延々と繰り返されているだけ。
ただそこに在るだけ。本質なんてものはない。
或いはこう言い換えられる絵は見る角度によって見え方が異なる。それと同じ。人の見方の数だけ本質はある。
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