人は何を基準に正義とし、何を断罪するのか?
8月
なので自分以外、他者を断罪するのでしょう。

べびぃ

憂い顔の騎士
MENMA会員

勲(くん)

正宗(ろー)
文化相対主義があるように価値観相対主義があり、正しさは『圏』の中でしか成立しないので、絶対的な判断基準は存在しないため、その代替機能として法や規則が用いられるのだと思います。
人間同士の関係でいえば、彼我の関係は原告と被告のようになるので、原告が被告を、被告が原告を裁くことはできないと考えます。
➔利害関係の無い第三者の調停が必要。
司法権や断罪する権能は本来持っていないはずなので、これを当たり前のごとくやってしまえるのは、自己正義を確信するに至り、あるいは自己を正当化する認知操作が入り、相手が悪になっているからだと思われます。
この文脈における断罪は感情浄化や不快排除が目的になっているので、本質は暴力と変わらないと思います。
本来であれば、持続可能性や場の秩序、個人の自由、権限と権能、罪や罰の評価と、その影響等を多角的に考える必要があると思いますが、人間の認知処理はこれらの重い処理には耐えられないことが多いので、短絡した判断と認識が出やすいのだと思います。
なお、『自己の判断の正しさ』がなぜ正しいのかは、おそらく人間には回答困難な問だと思います。
にも関わらず、人が自己の正義を認識できるのは、そういう認知様式があるからだと考えます。

モブB

サト
基準は「法、マナー、モラルをベースの個人采配」なんだと思う
それが声の大きい誰かの波に飲まれて群衆心理になって炎上騒動が起こるんだと思う
ただ、昨今はこの声の大きい誰かの目的はインプレッション稼ぎになってるケースが散見されると思ってる
断罪されてるのは
「群衆心理を利用したインプ稼ぎのエサ」
それが全てでは無いけどあえて強い言葉を使うならこれだと思う

はかり
ただしどのコミュニティにおける道徳なのかは個人の視座に委ねられる。
国で見る者もいれば、より小さなコミュニティで見る物もいる。複数の小さなコミュニティを並行して認識できる者もいれば、自分のみが属するコミュニティで道徳を語る者もいる。

ワニ
「正義」は本人にとって利他的と信じて疑わない道徳心のように見えますが、法以外の審判・断罪は独善の域を超えないと思います
もっとみる 




