愛を与える行為や感情は生まれ持ったものだと思う?
赤ちゃんとして生まれてきて、一番最初にする愛を与える行動はどんなことか気になりました。

蒼🐬
生まれ持ったというよりは
お母さんから貰って愛を知ってから
愛を与えられるんだよね
逆に小さい頃から愛を貰わなかったとしても
大人になってから愛を知る人もいるよ。
だから生まれてから常にある訳ではないんだよね
環境が全てかな
大人になっても愛を知らない人は知らないし
冷たい人はずっと冷たいよ?

風の音
赤ちゃんが他人を認識し相手の幸せを自分の幸せと感じるくらいまで成長していかないと、好意や恋は芽生えても「愛する」までには至らない(子供)し、大人になっても他人や自己を愛せない人もいる。
虐待や虐められたりしても他人どころか自分も愛せないこともあるので、どちらかといえば「後天的」かなと俺は思う。
「愛を与える行為」は、「どうすれば相手が幸せになれるか」を考慮した結果の行動なので「感情」とセットで後天的だと思う。
人によって千差万別だし、その人のためにあえて厳しく当たることが愛するゆえの行為の場合もある
ブラックテール
愛にも質があるし。
受けると側も質を把握できない場合もあるし。
余計なお世話みたいな。
なので、愛は必要ない。
ただ、お願いされたら出来る事は全力でやってあげて、できない事はキッパリ断る。
まあ、これが愛といなら愛だ、笑。
事はとても単純。

ありんこ
もちろん自ら思考してその過程でうまれるものも
あるけどでもそもそも親からの愛を一切受けてないと愛情は育たないしそもそも大人になれないと思う。もちろん愛情より虐待を感じてきたひともいるだろうが最初の最初は3時間おきの授乳をしてくれた人がいるから生きてこれた訳である。
これって聞くだけだと大して大変な事じゃないと感じる人もいるかもだがスゴい事なのだ。
3時間おきの授乳するという事は3時間おきに起きて授乳しないといけない。しかも親はそれいがいにも仕事があるのである。仕事がなくとも生活はしないといけない。そして人間は睡眠をきちんとしないとイライラしたりうつ気味になったりする。けれども子供の為に命の為にその大変さを
越えてくれた人がいるから皆今存在出来てるのである。これを愛と言わずなんと言うのだろう。
もちろん本能の部分が強い人もいるだろう。
しかしフリードリッヒ2世の実験で子供に言葉や教育を授けなかったらどのような言語を話すかという疑問から乳母を雇って授乳とオムツ替え入浴以外してはならないとあやしたり話しかけてはならないと言って初めた実験があるのだがその実験の結果は言葉を話し始める前に皆死んでしまったのである。これからも分かるがどんな親も赤子の時には愛をかけているのである。
もちろん記憶に残る事はそうそうないのだが
愛情のたねはその人の中に芽吹くそれが花開くかどうかは人によるし環境によるが…
なので私はうまれもったものではないと思うっ

ノゾ
それはともかく、親子愛や恋愛感情から単なる隣人愛、或いは通りすがりにふと与えたくなる親切に至るまで、利他的であろうとする心の動きが生得的なものかといえば、YES。
それを遺伝的に獲得したから現生人類はヒト科の中で唯一の種として生き延びたと言われるし、それが人間の本性であることは、東は孟子、西はアリストテレスと、古くから文化圏を問わず共通する認識。

むかで
人間は牛や馬のように産まれてすぐに立ち上がったりできません。他者に守られながら栄養を与えられて育ちます。与えられる事はありますが産まれてすぐに何かを与える事はできません。
なので、与えられて心地良かった事を真似る事から始まり、それがまた自分に返ってくる事で学ぶのだと思います。

ゆぬ
偶然した行為が愛を与えるはあるけど
感情と一緒で成長過程じゃないと自覚出来ないと思う。
ちな赤ちゃんが最初にやる行為はハグじゃね?
基本的に生まれてすぐ母親に寄り添ってるイメージある(例外あり)

あいす食べたい
生物の機能みたいな観点でいえばそうかもしれないけど、人間が生まれて成長の過程の上で得るモノなんじゃないかな。
愛情の伝え方も、受け取り方も人それぞれなんだから。生まれ持ったもの。というのはいくらなんでも雑すぎると思う
しょーま
感情は、無償の心だな

ろん
一律に産まれ持ったモノだとするならなぜ与えられない人間がこれほど多く存在するのか?あまりにも設計として杜撰過ぎる、あくまで愛を与える事が可能な人は「与えてもらってそれを受け取った」人間のみに可能な事だと思います
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