自由がある場合、『自由を取り締まる自由』も存在するか?

憂い顔の騎士

はる

〆さば
目的により自由を制限することがあるが、国境と同じでその制限は集団妄想に依存する。

ノゾ
人間に限らず生き物が生得した自由はつまり「自分の能力が許す範囲で何でもできる」自由。
力量により獲得できる範囲が自由の範囲であって、他者の自由を調整する自由もそれによって得ることができる。
社会はそれを与える。
社会は、そうした自由を全て取り上げて、その上で合意しあった範囲の自由を権利と呼び替えて再配布する仕組み。
つまり習慣や法が認めた範囲で、自由を取り締まる自由もまた、付与されうる。
内心の義務はそれを指示する。
自分の保護する対象の自由を管理・制限することは人間の自然が命じる義務だけと、その範囲や仕方には幅があって、その幅を自由と呼べるを

冷泉院ラグドメゼギス
それは個の裁量ではない。
取り締まるとは、言い換えれば「他の自由を制限する」ということ。
己の行使というより他への取り扱いなので、時に衝突する対等な「自由」同士よりも上位の見方や権限と解釈するのが妥当と考えます。
強いて「自由」の範疇でそれに類するものを挙げるとすれば、他の自由の行使に対する「拒絶」「排除」といったものになるでしょう。
当然、同等、等価の拒絶や排除も起こりうるし、否定にはそぐわない。

妻bot

