愛はどこに存在するのか? 自己に内的に存在するのか、他者との関係性に存在するのか?

ルカ
でも、そもそも何を基準に「愛」と呼んでいるのでしょうか。
人間は生まれた瞬間から他者との関係の中に置かれます。自我が芽生える前から、養育者や家族、名前、環境など外部から座標を与えられ、そこにはすでに自己から他者へ、他者から自己へという作用があります。
求める、依存する、守る、失うことを恐れる、相手の状態によって自分が変化する。これらはすべて、自己と他者の間に生じる「ベクトル」と捉えられます。
しかし、ベクトルそのものが愛なのではないと思います。他者へ向かう力には、愛着、依存、欲望、執着、親愛、所有欲、支配欲、配慮など、多くの種類があるからです。
先に存在するのは複数のベクトルであり、その方向、強度、組み合わせ、関係性、文脈を人間が認識して、「これは愛だ」と分類しているのではないでしょうか。
つまり愛とは、ベクトルそのものではなく、複数のベクトルに付与される認知的・言語的なラベルなのかもしれません。
「愛しているから守る」のではなく、守りたい、幸福を願う、失いたくない、相手によって自分が変化する、といった現象がまずあり、その集合を後から「愛」と認識する。
だとすれば、愛は行動の原因というより、複数の状態を一つの概念に圧縮する説明とも言えます。
だから私には、「愛とは何か」よりも、「どのようなベクトルの配置を、人間は愛と呼ぶのか」「どの地点で、ある関係は愛として認識されるのか」という問いの方が、愛の構造に近づけるように思えます。

りん

あすみ
互いにあるのなら、思いやりの交換もできる
愛ある人のまわりには愛から派生した相乗効果がありそう
愛が愛を呼ぶなら、世界は既に平和になってるはず
なのだけれど…
影○@( ᐛ )

KOTORON

ほうじ茶
空気のように。

🎮💧

女好きの女

まめお

🎮ともしゃん 🌱(ゲーム好き)
想い(内側)と行動(外側)の両方が成立して
初めて成り立つものが愛です♡
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