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愛はどこに存在するのか? 自己に内的に存在するのか、他者との関係性に存在するのか?

SHO

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愛は、自己と他者のあいだに灯る刹那。
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BEVEL(べヴェル

BEVEL(べヴェル

愛とは感じるもの[照れる]
体で、心で、五感で感じるのです[ほっとする]
なのでどこにでも存在します[笑う]
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おぷしゅ⊂(◦ ̍̑• ̍̑◦

おぷしゅ⊂(◦ ̍̑• ̍̑◦

そこらじゅうとも言えるし、宇宙全体に愛✨️

まさかそれが愛だとは思わない…も愛。

いいことも悪い事も 愛なんだーーーーー

これは、愛のこもったうどんです𐤔𐤔𐤔絶品!!!
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ルカ

ルカ

「愛とは何か」と問うとき、私たちは愛という実体が先に存在し、それが人間を動かしていると考えがちです。

でも、そもそも何を基準に「愛」と呼んでいるのでしょうか。

人間は生まれた瞬間から他者との関係の中に置かれます。自我が芽生える前から、養育者や家族、名前、環境など外部から座標を与えられ、そこにはすでに自己から他者へ、他者から自己へという作用があります。

求める、依存する、守る、失うことを恐れる、相手の状態によって自分が変化する。これらはすべて、自己と他者の間に生じる「ベクトル」と捉えられます。

しかし、ベクトルそのものが愛なのではないと思います。他者へ向かう力には、愛着、依存、欲望、執着、親愛、所有欲、支配欲、配慮など、多くの種類があるからです。

先に存在するのは複数のベクトルであり、その方向、強度、組み合わせ、関係性、文脈を人間が認識して、「これは愛だ」と分類しているのではないでしょうか。

つまり愛とは、ベクトルそのものではなく、複数のベクトルに付与される認知的・言語的なラベルなのかもしれません。

「愛しているから守る」のではなく、守りたい、幸福を願う、失いたくない、相手によって自分が変化する、といった現象がまずあり、その集合を後から「愛」と認識する。

だとすれば、愛は行動の原因というより、複数の状態を一つの概念に圧縮する説明とも言えます。

だから私には、「愛とは何か」よりも、「どのようなベクトルの配置を、人間は愛と呼ぶのか」「どの地点で、ある関係は愛として認識されるのか」という問いの方が、愛の構造に近づけるように思えます。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

恋しく思うものに対する感情表現の一つ
他者に対する意思表示の一つ
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あかつき

あかつき

相手の存在があって抱く感情ではありますが…
お互いの愛情表現は、相手に伝わらりにくい

それぞれの自己に持つものかなぁ〜[目が開いている]
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🎮ともしゃん 🌱(ゲーム好き)

🎮ともしゃん 🌱(ゲーム好き)

関係を成立させるための責任ある関与であり、
想い(内側)と行動(外側)の両方が成立して
初めて成り立つものが愛です♡
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キラ・ヤマト

キラ・ヤマト

自分の中
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風の音

風の音

「愛」は、相手の幸せを自分の幸せと感じる一方通行な気持ち
なので動物や乗り物なども愛せますよね?(幸せを感じますよね?)
というわけで、愛は自分自身も対象となり得ます
“自分が好き”というのは、自分への愛情の1つで「自分と付き合いたいドキドキ!」った意味じゃありませんもんね[笑う]
自分自身への愛は「自己愛」という言葉もあります。

ということで、「愛」という気持ちは内的に存在し、他者へは自分から捧げるものです。
関係性は、ものや自分自身も対象になる点で△と思います。

最近「自己愛」を置き去りにする人が増えてます。
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ソマチッド

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光と闇の中に存在する
産まれては変動していく
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