ある状況・ある判断で、『自己の正しさ』に疑いを持ったと仮定して、『自己の正しさ』はなぜ正しいのかを、感情というギミックを用いずに説明することはできるか?

冬寂

はち
結論として私の意見をまとめると、感情を伴わない自己の判断の場合は、自己の正当性を感情というギミックを用いずに説明でき、感情を伴う自己の判断の場合は、自己の正当性を感情というギミックを用いずに説明できない。

グン

シフ
そのミスの発生要因を確認して自分の責任範囲内にあるかどうかを見れば良い。
だるま落とし
『自分の正しさに疑いを持った』状態なのにそれでも『自分の正しさを説明する』って状況はそんな多くないかな。
【カルネアデスの板】を例えとした場合、罪悪感が強ければその分だけ感情的に説明しがちだろうけど「いや、死にたくなかったし。それで何かの罪になるの?」と、開き直ってしまえば感情は必要ないだろうね。
自分の正しさに揺らぎが無ければ、その説明に感情のギミックは必要ないでしょ。
それを聞いた人が納得するかどうかや、納得させなければならない場面なら難しいと思うけど。

はまっち
前提の正しさは正しいのか?
そもそも正しさとは何なのか?
求められる事は、ある状況、ある判断の結果、忘れ去られる事象にする事で、正しいを主張するものでは無い

風の音
「実践」「実験」で結果(証拠)を出して、その正しさと共に説明するほか無いでしょうね

しげき
疑問を持つような 正しかったら 物理学的なものじゃないんでしょ?

るる
自己の正しさはその答えではなく、「自分で決める」という行為の方

サト
罰則の可能性を含んだメリットとデミリットのてんびんじゃないかな?
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