戦争があるから平和があるのか、平和があるから戦争があるのか

サトシ
そう言う方がいい。
その問いは難しいですね。
しかしこの問いは押井守のパトレイバーのセリフを思い出しますね。
竹中直人の舞台っぽい演技がアニメによく映えた名シーン。
実はこのセリフは劇中におけるキャラクターの意図と物語の趣旨とは離れるメタ的な考察になりますが…。
そこでは平和を求めれば求めるほど、何かの拍子にむしろ簡単に戦争を求めてしまうのでは?という危うい洞察がされています。
政治指導者たちの暴走でも陰謀論でもなく正義を掲げた大衆は平和を訴えながらもそれがいつの間にか実際の闘争へと変わっていく。
「だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つき達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ。
戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。
単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?」
余談ですけど、この映画コロナ禍の日本と同じ情景になるシーンがあって日本人が持つ気質、問題意識は根本的にあまり変わらないのだなと今思い返すと思うシーンもあって
普遍的ないい作品ですからぜひご覧ください(笑)

あーみっく
争いがあることが基本
なので平和は勝ち取るもの

もっさん
くまのプーちん
それぞれをどう定義するかにもよるだろうけど

まり

一般意志

j
そうすると、この質問には「両者とも正解」という回答ができます。なぜなら戦争は平和を引き起こし、平和は戦争を引き起こすという作用が長期的視点においては成立するからです。しかしそれでは少し味気ないので、掘り下げていきましょう。
既存の世界情勢は権威のパワーバランスがどう力学的に作用し、相互に作用しているか、という停滞構造によって成立します。その力学が限界点に達したとき、戦争という形で情勢の加速構造へと転換するわけです。例えると、幾つかの歯車を想像したとき、それが噛み合って回っている時が停滞構造、それらが錆びたり削れたりして歯車が壊れる時が加速構造、というわけです。そして戦争と平和は、加速と停滞という構造をある種適用できるでしょう。無条件加速主義 (U/ACC) はある種必然性を帯びたこの作用を否定しないという点に重きが置かれています。つまり、平和による停滞も戦争による既存秩序の破壊も、そこに善悪が無いわけです。少し冷血な理論に思われるかもしれませんが、あくまで結果論としての歴史観では、ある種必然性を帯びた構造的力学としてこれらを定義できる。それが重要です。
結局、戦争も平和も過度に美化するものではないな、という個人的感想を述べて、一応の帰結とさせてもらいます。

てんぺん•✒️
傲慢:他を見下して感情の軋轢を産む。
怠惰:仕事をせず利益のみを得ようとする。
嫉妬:相手の方がうまくやってるという感情の軋轢を産む。
強欲:欲張ってなんでも得ようとして奪われるものがでてくる。
憤怒:怒り感情に身を任せ攻撃的になり、相手は防御することとなる。
色欲:異性の奪い合い。
理由はともあれ争うことで戦争が起きる。
平和というのはそのバランスが傾いてない状態
自論:戦争もあり、平和もある。
対義ではなく並列なのだろう。

憂い顔の騎士
戦争中は平和を欲し、平和な時は争いを好む

Noriko
どちらか片方ではないと思います
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