私は態度だと思います。哲学的態度。---学問としての哲学に関しては触れません。そこは既に固定されていると思うので。古典哲学についても言及しません。そこも既に固定されていると思うので。---哲学的態度ですが、『知』に対する敬意と真摯な態度だと思います。哲学は、衒学的であったり、マウンティングの材料として用いたら、それは哲学的ではないと考えます。難解な哲学書が、ただの衒学的な書物になります。三大難解哲学書と言われる難書を筆答に、あれは『知』に対する敬意と誠意があって、そのために著者は自らの生を、命を、人生を捧げたのだと思います。この、『知』への敬意と真摯な気持ちという前提があるからこそ、哲学は成立すると考えます。故に、人格的には傲慢な政治家であったとしても、『知』に対する敬意と真摯な態度があれば、それは哲学たりえると思います。一方で、学問としての哲学を学び、修士なり博士なりになったところで、『知』への敬意や真摯な態度を欠いていれば、それは哲学ではなく、哲学を用いたマスターベーションだと思います。浅いも深いも関係なく、専門用語を知っている知っていないに関係なく、年齢や学歴に関係なく、『知』への敬意と真摯な態度が哲学の根幹であると考えます。
これめっちゃ難しいですよね。「経営哲学」とか「人生哲学」みたいな単語にも「哲学」が入ってるので、「経営基準・指標」「人生訓」も哲学に含まれるという認識を持つ人もいるでしょう。そして「哲学」が何を学ぶ学問かもすごく説明がしづらい。なので「哲学とは?」と聞かれた時に相手がどんなことを「哲学」と捉えているか確認し合うことがまずは大事かなと僕は考えています。その上で、せっかくなので日本語がなぜ通じ合えているのかの「クオリア」から話し合いましょうか。まとめます。・まず「哲学」が何を指すか指さないかの共有・日本語がなぜ通じ合えるかを基準に対話するこんな感じです。質問の意図に合ってるでしょうか[にこやか]