人間はいったい、たくさん選択肢を持つ権利、それとも選択しなくて済む権利を求めてるのだろう

Yoo
実際に選択可能である選択肢がより多く、自己決定ができることというのは、幻想に近いものであろうが、それ自体は少なくとも望ましいこととして広く合意がとれるのではないだろうか。たとえば、進学先。地方と都市部では後者のほうがより多い選択をすることが可能だ。そしてその方が望ましい場合のほうが多いだろう。
とはいえ、選択する、判断するのには相当のコストが必要である。単純な功利主義のようなメリットデメリットだけで選べるならば負担は少ないが、選択するにあたっては、不確実性がつきものであるから、選択するのに悩む事となる。
しかしながら、選択しなくても済むという選択があり得るならば、それば人間の自律性というものが掘り崩される恐れがある。極端にいえば、ナッジやアーキテクチャの文脈で言われる、誰かに選択肢をコントロールされていたとしても気づかない、気づいてたとしても、あえてそれにのるならば、各人の自己決定が阻害されることになる。自己決定が、阻害されれば意思を形成する能力が衰えていくことになる。自分で考え、主体的に行動する自律的な個人から、権力に従属する客体になるのではないか、ということが考えられるわけです。
なので、少なくとも対権力や自由の文脈でいえば、選択しなくても済む、ということを権利として求めるというのは、「権力に従順な個人になる権利を求める」、ともいえるわけで、それはそれでおかしなことになる気はするのです。

mistral
監理のしやすさ、能力発揮の最大化どちらを取るかとも言えます

款冬

白鴉🐦⬛

SSかずのり
選択しなくて済む権利が欲しかったと理由をつける。

🍊🍊🍊
singularity / diversity

凪
今は選択肢が多すぎて
自分がわからなくなりがち
Yuu

やま

チェンタイラン
もっとみる 




