人間はいったい、たくさん選択肢を持つ権利、それとも選択しなくて済む権利を求めてるのだろう

mistral
監理のしやすさ、能力発揮の最大化どちらを取るかとも言えます

Yoo
実際に選択可能である選択肢がより多く、自己決定ができることというのは、幻想に近いものであろうが、それ自体は少なくとも望ましいこととして広く合意がとれるのではないだろうか。たとえば、進学先。地方と都市部では後者のほうがより多い選択をすることが可能だ。そしてその方が望ましい場合のほうが多いだろう。
とはいえ、選択する、判断するのには相当のコストが必要である。単純な功利主義のようなメリットデメリットだけで選べるならば負担は少ないが、選択するにあたっては、不確実性がつきものであるから、選択するのに悩む事となる。
しかしながら、選択しなくても済むという選択があり得るならば、それば人間の自律性というものが掘り崩される恐れがある。極端にいえば、ナッジやアーキテクチャの文脈で言われる、誰かに選択肢をコントロールされていたとしても気づかない、気づいてたとしても、あえてそれにのるならば、各人の自己決定が阻害されることになる。自己決定が、阻害されれば意思を形成する能力が衰えていくことになる。自分で考え、主体的に行動する自律的な個人から、権力に従属する客体になるのではないか、ということが考えられるわけです。
なので、少なくとも対権力や自由の文脈でいえば、選択しなくても済む、ということを権利として求めるというのは、「権力に従順な個人になる権利を求める」、ともいえるわけで、それはそれでおかしなことになる気はするのです。
くまのプーちん

オコジョ番長

狼
思考にはコストがかかるので任せたいが、やりたい事が出来ないと言う可能性は忌避する。
法律による秩序を求めるが、法律による束縛には反発する。
神と言う高次元知性に安寧を求めながら、AIの進化とその支配を恐れる。またはその逆も。
結論は非常に野性的で、好きに生きたいけど楽に生きたい、任せたいけど勝手したい、根っこには身勝手で在るが儘(ワガママ)な個が底にある。
「沢山の選択肢をもちながら選択をしなくても良い権利」を我々はご所望なんです(※お、コイツ主語が大きいぞ? 警戒しろ!)
ただし権利を持っていても、行使すれば義務が伴う。選択したことの責任、選択しなかったことの責任が、個人個人にのしかかってくる。
その責任と権利の比重を社会的な面で調節するのが、法律だったり何だったりで、もともと大前提のしかかって来るのが物理法則や力学だったりする。
なんて考えるのは如何でしょうか?

白鴉🐦⬛

ナトル
人間は高い確率で 3択 2択からの選択肢で最終的に自分が決める権利を求めているのだと思います

凪
今は選択肢が多すぎて
自分がわからなくなりがち

款冬

SSかずのり
選択しなくて済む権利が欲しかったと理由をつける。
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