『プロでも最初は下手くそ』という前提があると、『下手くそ時期の褒め』が大切だということが分かるが、日本はなぜ『下手くそ時期の褒め』があまり社会実装されないのか?

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仁
僕ら子供の頃よう叱られた。親どころか近所のオッチャンやオバチャンにまで叱られた。たまに初めて会うようなオッチャンにも叱られたような記憶がある。 そのせいかたまには褒めなきゃいかんと僕が大人になった頃、「3つ叱って2つ褒め」なんて教育論が出てきたくらい。
その時に比べ、最近の子供って叱られてないような気がするが、僕の気のせいかな。
実の親が自分の子供に訳の分からない気を使う姿をよく見るように感じるのは僕だけだろうか?
個性が大事、ゆとりある教育。そりゃ理屈はわかるさ、ノビノビ育てて大きくなろう!
フン バカかって思うのは不遜かな?
大事なことは怒ると叱るを間違えない事、自分の子は勿論、他人の子であっても間違っているなら堂々と叱りたい!
それが出来ない今にこそ問題があると思う。
それが出来てこそ褒めることの意味が生まれる!

せーじ
「最初から褒める=甘やかす=育たない」という意識や「厳しく鍛えないと一流には育たない」という意識があるからだと思います。

憂い顔の騎士
高校野球や10代のアイドルなどは?
オタクの同人誌は?

〆さば
また、正しい事(現時点では下手である)を言う事が正義という文化みたいものと、下手と言われる=頑張れとの鼓舞という暗黙知(薄れてきてるが)があるんじゃないだろうか。

風の音
大卒して初めに就いた先が有名な大手企業でした。
文系を学習し「次は理系の分野で自分を試そう」と、知識のないままシステムエンジニアになりました。
フォン・ノイマンの話からブートストラッププログラムからのシステム学習など、理系を出た人とはスタートから違いましたが、一年間の研修、OJT期間など、お題で言う「下手くそ…」の実装がありましたので、そうした場所には今も?実装されていると思います。
その後地元に戻って、いろいろ働き、今は本業とタイミーなんかで「責任負担の少ない労働」を楽しんでます。
こうした中小企業やブラックになるほど、「新人育成」は実装されてませんし、場所によっては古株で徒党を組んでる連中が新人が傘下に入らないと見るや苛めてやめさせようとする始末。
そうでない職場でも、1ヶ月と経たないうちに「あいつは向いてないなぁ」と周りに同意を求めるなど、見切りの早さが目立ちます。
理由としては
・育成に回す経費や人員を確保しない(即戦力しか雇わない)
・心がデジタル化してきている
・見切りが早い
などあると思います。
「ゆとりの生活」を政策で求めてきた結果が今のカツカツ・ギスギスなデジタル社会に…
金銭的ゆとりのなさは、生活のゆとりのなさへ、生活のゆとりのなさは心のゆとりのなさへと連携します。
企業や社会を人に例えた場合、同じことが言えるんじゃないかな?と、考えます
コーヒーさん
英会話もそう、恥かいて失敗しないと覚えられないのに、それをテレビで笑いものにするんだから…

仏の悠
そういう時代とかを経験した人から仕事教わる事が多いから下手くそ時期の褒めがないんだと思う

みと
ソマチッド
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