コミュニケーションや議論において、『他者視点の取得』はどの程度重要か? 他者視点の取得が欠如している場合、彼我はどうなるか?

ひかる
しかし、人間は表面的な、理解の伴わないコミュニケーションでも満足できる生き物でもある。
なので、話が噛み合っていなくても、訳が分かってなくても、交流し続ける人々はどこにでもいるだろうし、それでいいとも思う。

セナ
国交みたいな
コミュニケーションや議論は極端な話、自他の利害について話し合い、折衷案を出すプロセスとなり学問にまつわる討論などならそれで構わないけれど
コミュニケーションとしては感情がお互い生まれても通じあうことはない交渉に近いものになるんじゃないかな🤔

ナトル
それに関しては 一党独裁制(の国と正当な選挙で決まる 大統領の国ではっきり分かれると思います
一党独裁制だと問題を即解決し行動に移す 速度が早いですただ 1人の意見が暴走して 得意分野にも首を突っ込み 物事をばらばに混乱させる場合が多いという欠点があります
選挙でリーダーを決めるような国では何を決めるにも一つ一つに 他者の意見が取り入れたりもします そのため 必ず右翼 左翼 のぶつかりがあり 互いに 揚げ足取りになるため 製作から実行までの間が長くなってしまうのが欠点です それにどちらかが優勢だと必ず片方は 味を引っ張るのに専念し 陰と陽、善と悪 的な ぶつかり 合いをして先延ばしにしたり うやむやにして時間 張りすぎるということがよくあります 日本の政治とかを見るとなおさらでしょ
やはり 事前の準備の重視度が寛容だと思います

款冬
すでにその視点が思い込みによる鷹の目であったなら残念ながら私たちはゲラゲラ笑ってあなたを
「すげぇなぁ w」
と応援します w w w

セナ
要は相手の立場に立って物事を見ること、感じることを想像することができないということ。
その人の見えている世界は自分一人で完結してしまっているのだ。それが自分のせいであろうがなかろうが関係なく


たよ
相手視点よりも第三者視点のほうがよいきはする

華

