ある人物が、飢えてる人のために、半社会的勢力に属す人物が所有する畑に芋を盗みに入り、飢えてる人に芋を分け与えたとする。この行為は善か?悪か?
貴方はどうやって善悪を判断しているのか。人間はどうやって善悪を判断すべきなのか。

SSかずのり
でも人の畑から盗むのは悪!
反社も許してあげたら善!
でも反社会的行為は悪!
つまり、自分がどちらの一面を見たのか

坂本龍馬
ねずみ小僧次郎吉は、江戸時代後期の有名な盗賊で、大名屋敷専門に忍び込み、盗んだ金品を庶民に分け与えたという「義賊」として後世に伝説化された人物がいました。
この事からも時代背景やその国の庶民の暮らしにより、義賊や犯罪者に選別される思います。
現代の日本では犯罪となります。

紀文屋
今の時代でも『盗み』は悪ですよ。
相手が誰であろうと『盗む』選択しかない時点で詰んでると思います。

蚊嫌い

じゃんく
どの秩序から捉えるかで
・善である
・悪である
・善でもあり悪でもある
・善でも悪でもない
・もはや定義の必要がない
・もはや定義できない
など答えが分かれる面白い質問だと感じました
そして私個人としては、そうすることで
・誰が困るか
・どれぐらい困るか
・誰が善だと感じるか
・どれくらい善だと感じるか
・誰が悪だと感じるか
・どれくらい悪だと感じるか
など総合的に考えると
善でもあり悪でもあるが、善でもなく悪でもない
というのが答えです
そしてこれを切り詰めていくと
じゃあ悪って何?
じゃあ善って何?
こんな問いが生まれると思います
そしてこんなことを考えること、そのものが面白いんだと私は思っていますね😙

chicha

さたさた
善悪の二元論に陥るのは、宜しくない。
視点によるかと。盗んだ側の正義と、盗まれた側の正義。だから法があるのではと。
失礼な言い方でしたらすみません。

シズ
別の視点にて考えてみました。
この問題は哲学ではなく本来なら倫理、道徳の問題はては犯罪学の問題ではないかと
「反社」という言葉でやや、深く考えてみる感は望めないが、反社であろうか、半グレであろうか、マフィアであろうか他人の所有物を取ることは犯罪ではあります。仮にそれらの方々が違法に入手したのならまた答えは違ってきますが。
例えば刑事事件においては、刑の執行を猶予することがあります。極端に言えば一定の条件のもと放免すること。
刑事裁判における 「情状酌量」 や 「刑の執行猶予」 は、単に「甘くする」という意味ではなく、刑罰の目的(更生・再犯防止・社会秩序の維持)を最も適切に達成するための判断です。
情状酌量とは何か
情状酌量(刑法66条)とは、
「犯罪の性質・動機・結果・被告人の人格・前歴・反省の有無・被害弁償などの事情を総合的に考慮し、法律で定められた刑の範囲内で軽くすること」です。具体的に考慮される事情
初犯である、深い反省と謝罪がある、被害弁償や和解が成立している、衝動的・偶発的な犯行、社会的制裁(解雇、信用失墜など)を既に受けている、扶養家族がいる など
「犯した行為」だけでなく「人」と「状況」を見るのが情状酌量です。
そこで刑の執行猶予とは何か
刑の執行猶予(刑法25条)とは、
「有罪・実刑判決を言い渡すが、一定期間まじめに生活すれば刑務所に行かせない制度」です。
重要なポイント。無罪ではない、刑は確定している、再犯すれば、今回の刑+新たな刑が執行される、猶予期「状況を鑑みて執行猶予を付ける」意味
裁判所が執行猶予を付けるのは、次の判断があるからです。
・裁判所の判断ロジック
「この人は、今ここで刑務所に入れるより
社会の中で更生させた方が再犯防止と社会利益にかなう」という考え。
ちょっと論点外れましたが、一定の情状すべき理由があるなら刑の執行が行われないと(条件付き)。これが犯罪学の視点。
倫理、道徳から考えれば
これは文化、時代背景、社会全体のモラルとしての考え方。日本人は極めて稀な性善説を持ち合わせております。世界的にとても珍しい存在なのです。自動販売機、無人販売所、越えようと思えば楽に越えられる自動改札が成り立つお国。それを踏まえれば、目の前に困った人がいればどうにかしたい気持ちが優先するのが日本人なのです。自ずと答えが導きされるかと。

シズ
に置き換えてみては
時には 善 悪 と区別できない事例もあるのかと
昔息子と観ていた「日本昔話」の物語
あるお坊さんが貧しい婆さんのところにやって来て
一晩泊めて欲しいと
もちろん断らずに泊めてあげるお婆さん
食事を出さないといけない
でも米櫃には米ひとつもありません
そこで見つかったら村から追い出されるのを覚悟で隣の畑から米を一束盗んでしまうのです
足跡がくっきり残っています
その米でお坊さんにお粥を作りました
夜中中お婆さんは震える身体で朝を迎えました
朝村人が家のまわりを取り囲んでいるのを覚悟で
戸を開けました
見ると一面雪の銀世界
足跡など残る余地もない
時にはお天道様が行いをみているものです
こころが動くように動いたらどうかと
善 悪は人が決めること
それを超越することも大事だと考える命題かと

マツ
もっとみる 







