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「価値」や「意味」といった主体に根ざす言葉を用いずに、主体に根ざす事象(感情等)を説明することは可能でしょうか

私は数学が好きで好きで仕方なく、哲学でもデカルト寄りの考え方をしてしまう人間なのですが、数学的な立場から考えて、題に挙げたような主体に根ざす事象の存在証明を行うためには、「価値」や「意味」といった主体に根ざす概念を用いずにその存在を証明ないし説明しなければならないと思います。要は「我思う故に我あり」すら認めない哲学みたいなかんじです。これを実際に行う方法を何かご存知でしたら教えて頂けると幸いです
ソマチッド

ソマチッド

数学も事象も感情も説明は可能だとしてもそれが正解と誰も判断証明が出来ないのであれば説明したとしてもそれが説明したことにはならない
だから不可能
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comesunday

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「感情」を、主体に根ざすものとしてしか実体を認めないとして定義した場合でも、外部との相互作用があれば、観測して得た情報を言語化することで外部的な説明や定義ができるでしょう。

外部的な説明とは、例えば、赤、青、緑で構成される色という世界で、青でも緑でもない赤を「区別して特定」できる情報を言語として構成することなので、「感情」を、何のために何と区別するのかといった目的に応じて、観測方法、観測情報、言語化方式を選択することになります。

但し、主体の内部的な「価値」・「意味」(及び「主体に根ざす言葉」のすべてが表すもの)が「感情」として影響・支配・構成・生成している対象と、上記の外部的な言語による「感情」の説明の対象が、同一であることを表現・証明できる言語は存在しないでしょう。

ここでいう「主体に根ざす言葉のすべて」とは、実のところ、主体が外部との相互作用を観測して生じた情報を言語化して「区別して特定」するために構築した世界そのものであり、外部的な「感情」の説明・定義の目的のために言語化された世界とは別のものだからです。

異なる世界を同一の言語で扱おうとすると、所謂、ラッセルのパラドックスに陥ると思います。
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さんかく

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お腹が減って動けない
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ティリル

ティリル

例えば脳内の動きの変化を色で表す、みたいなのはどうでしょう。
怒りは赤で喜びは黄緑で、みたいな。

反応している脳の部位と色味で感情が説明できるのでは?

ただ問題なのは正確性に欠ける(というか正確かどうかを見抜く術がない)点ですが[泣き笑い]
まぁそれは言葉が使えたところで同じ問題に陥るんですけどね。
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