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隣人の、出会った人の、友人の、家族の、『生き方』を肯定することは大切か?

※この場合の『生き方』には、価値観、金銭感覚、恋愛観、倫理観等を包括的に含むものとします。
ノエミ

ノエミ

いわゆる毒親の母親について、私は肯定したら楽になりましたね。ギャンブル依存症で浪費癖もあって大変でしたが、彼女の好きを肯定しようと自動麻雀卓を買い与えたら、嬉々として仲間を集め麻雀に熱中し、場代も僅かに入るしで、かなり悩みが減りました。
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BEVEL(べヴェル

BEVEL(べヴェル

いや、共感できなければ特に肯定はしなくてもいいと思う[にこやか]
ただ否定するのはだめ🙅
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

人が人の生き方を否定する権利などない
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はる

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生き方を肯定?理解できたらいいなと思いますが、そこまでの余裕がないかもです。
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ソマチッド

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肯定も否定もしない
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奥山重高

奥山重高

多様性を肯定できるか否か
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ほたる

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肯定はしなくとも。知ることが重要だと思います。
知るからこそ、自分はどうしたいかを考える。それを言ってしまえば否定したことになるから。
言葉にしないことが大切。
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りょうたろう

りょうたろう

「肯定すること」を「自分の価値観の内部に取り込むこと」と言い換えてみる。そうすると、そんなことは不可能であるばかりか、自分の人格が完膚なきまでに破壊されるだろうということは想像に難くない。
やはり自分の人生の中心には自分固有の価値観というものが据えられるべきである。それが枝や葉を豊に茂らせるために要求される新たな価値観が隣人からもたらされるのであれば、それは積極的に自分の内面に取り込まれるべきであるべきだし、そうでないものに関しては基本的に無視すべきである。
しかし、ここでいう「無視」とは、基本的には評価を下さないことであり、自分の価値観に合致しないからといって、善なりとも悪なりとも裁決を下してはならない。仮に悪なりと断じてしまえば、その時点で反面教師として自己の内面に取り込まれてしまう。それを続けていくとやはり自己の精神のキャパシティを簡単に越えるし、自己ががんじがらめ規定されて、柔軟性を失った価値観を創出するだけのように思える。
なんにせよ、自分と相反する価値観に出会ったときは、相手と自分との親密さは一旦度外視して、「そういう考えもあるのか~」程度に軽く脇に置いておくのがよいだろう。
したがって、そういった「生き方」は、肯定することよりも、「否定しないこと」の方が大切である、といえる。
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サイゼの小エビ

サイゼの小エビ

あたしはおまいらを肯定するから、おまいらもあたしが誕生して半世紀経ってもロリィタが好きなことを肯定してくれ
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わんわんお

わんわんお

生き方なんて人それぞれ
わざわざ否定も肯定もしないけど
肯定して欲しいのが人ってもんよ
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