無知とは罪であるか、救いであるか

めめこに

余り者
傷つくこともあるからねー。

はかり
その無知が、自身を内包する集合における禁忌ならば、その集合においては罪となる。
無知そのものを罪とするコミュニティにおいては無知そのものが罪となる。むしろ知の有無に限らず、あらゆるものに言える事でしょう。
救いは主観でしょう。
つまり罪or救いと綺麗に分けれる物ではないと思います。
罪かつ救済
罪かつ破滅
徳かつ救済
徳かつ破滅
どれもあり得るのではないでしょうか。

ろん
因みに赤子の無知を責める人はいないでしょう?しかし親が赤子をうつ伏せに寝かせ死に至らしめた無知は罪でしょう?状況、前提条件次第で答えも180度変わりますよ

正宗(ろー)
例)
政治に無知
道徳に無知
社会人経験に無知
一般常識に無知
この無知の評価は当人含めて観測者が行うことになりますが、その評価が妥当かは置いておきます。
〝自分に求められている『特定の領域』が暗黙的に、自然発生的に生じる〟
のですが、
私は、上記に対して無知であることを、無知と認識したいです。
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[星2]不知と無知の違い
無知にはいわゆる『バカ』と同じように、貶し言葉として用いられる側面もあるので、意味のニ面性があると思います。
貶し言葉でない方の無知と、不知の違いは、
無知には『知るべきことを知っていないこと』という核があるのではないでしょうか。
一方で、不知は『単に知らない』という純然たる事実状態のみを形容するニュアンスが強いと思います。
問題になるのは『知るべきことを知っていないこと』ですね。
これは場面場面で変化し、相手(観測者・評価者)によって変化するため、
無知でなくとも無知と評される場合もあれば、賢人と讃えられても実際には無知という状況も想定されます。
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哲学的態度としては、自分は蝋燭の灯やランタンを持っていて、その『灯』を照らしたところだけ世界が視えてるいると捉えるのが良いのではないでしょうか。
この場合『暗闇』の部分が、『まだ知らない』こと、『いま知らないこと』なので、無知に該当くる可能性もありますが、
その『暗闇』部分が、いまの状況で求められている『知っておくべきこと』なのかは別に考える必要があります。
人は、『知らないこと』を前提としつつ、予測機能や状況認識機能を用いて、自分がいまどの暗闇を照らすべきか、なにを捉えるべきかを適切に判断できる人は『無知』性は低くなるのかもしれません。
一方で、人間の認知機能が『蝋燭の灯』ではなく、太陽のように前景を照らしていて、『暗闇』の中の僅かな領域のみを照らしていて、大半が『暗闇』であるという理を概念的に理解していない者は、無知性を帯びるかもしれませんし、単に認知機能の錯覚に陥っているだけかもしれません。
まとめ
『無知』の本質は『錯覚』だと思います。
私達は全周が暗闇の中を、僅かな灯のみで照らしながら歩いていると思います。
だからこそ

仁
でも僕にとっては、救いの方が多そうな気がする。

ナトル

〆さば
この設問は前提が敢えて切り落とされているとしたら、どのような議論を期待するのか。それは無知であるという状態の承認を欲するのか、断罪を欲するのか。

ブヒっと君

仁
優秀な営業マンは、話し上手な人ではなく、聞き上手な人。
相手を論破しても、自分が気持ちいいだけ。
自分の知らない話を聞くのは本当に楽しい!
心底そう感じられる人は、相手を魅了する。
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