価値を全ての事象に対して見出してよいのか
昔からの疑問なんですが、我々が「人間の価値とは?」とか言うとき、ここにおける価値とは、その人間の感覚世界上で成り立っているものであるのに、その世界自体を形作る自体にも、その価値を見いだして良いものでしょうか

コーユー
例えば「窓を開けたままでいい?」という問いも、換気が目的ならOKですが、防犯が目的ならNGです。価値判断もこれと同じで、「何のためか」によって変わるものだと思います。
つまり、その価値づけが目的に対して機能しているなら正しいし、そうでなければ不要です。
この考えを広げると、「価値を生む仕組みそのものに価値を見いだしていいのか?」という問いにも同じことが言えます。それが役に立つなら考えていいし、コストや効率の面で見合わないなら無理にやる必要はない。
例えば、哲学的な思考ではこうした問いは有効だと思います。思考を広げる力があるからです。
一方で、企業の採用のような実務では、より測定可能で具体的な指標が求められる場面も多いはずです。
結局のところ、価値をどこまで見いだすかは、誰が・何を目的に・どこに価値を置くのかによって決まるものではないでしょうか。

パピヨン
価値は見出そうとすればいろんな角度で全部に定義できるから、それで苦しくなったりしたら一旦立ち止まる。

TUNE

しー

グン

ふー
有用性、役立つのか、値打ちの有無、
まるで価値が無いとダメみたいな
査定されてる感
価値が出る前や同じ物でも人によって価値があったりなかったり、価値は作れるし失う事もあるので何でも点数つければいいとは思いません。
問いを言い換えると
全てがどう役立つか探し当てる事が悪いわけでは
ありませんがそこに至った理由があっての事だと思います。人に害をなさない範囲で解決できれば良いと思われます。

おさかな
自分にとって価値のない事象でも
自分ではない誰かにとっては価値の事象であるというのはあり得る事だと思う
同じ自分でさえ過去現在未来で価値のあり方は変わると思う
むしろどんな事象に対しても価値を見出そうとする事は未来の自分への救いになるのではないだろうか

ラズー
事象は幅が広すぎて、価値と意味付けられるものばかりではないです。

ごご

サト
ただ、可能なのかな?というだけの話だと思う
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