価値を全ての事象に対して見出してよいのか
昔からの疑問なんですが、我々が「人間の価値とは?」とか言うとき、ここにおける価値とは、その人間の感覚世界上で成り立っているものであるのに、その世界自体を形作る自体にも、その価値を見いだして良いものでしょうか
kurael

アボ
ただそれを他人に強要・押し付けるのは良くないと思います

🌈よっさん

ごご

のぼ
おおよそ6歳までは基準を記憶する。
それから基準をもとに比べて受け入れる。
「自分の親より良い親がいる」
「自分の暮らしより良い暮らしがある」
逆も然りで不満と納得を繰り返す。
おそらく『全ての事象に対して』というのは、誰か又は何かの基準に対しても別の基準を用いて価値をつける行為のこと。
それは個々がバラバラになった世界だということ。
根差している土台となる基準が個々で違うから起きること。
『同じ』が薄れた世界だから、本来なら疑う必要のない土台となる部分を他人に評価されて価値をつけられる。
意思疎通、心を一つにと先人達が注力して築いた世界が今はバラバラになっていますね。

セナ
昨日、僕は実家の自分の部屋を片付けてて、
父も悪気なしに、別に対して価値あるものなどないだろう。と言った。
自分は父の目の前に二つのご当地キューピーのキーホルダーを渡して、それが何かわかる?と聞いた。父さんにはただのキーホルダーで金銭的な価値などないのかもしれないね。でもそれは俺が中学の時にクラスメイトと一緒にいった沖縄への修学旅行で買ったものなんだ。そして、国際通りを雨が降る中走りながら急いで買ったものなのだ。
沖縄なのに鹿児島とか宮崎のが売ってるのが面白かったんだぁと話した。つまり僕にとっては大切なものなんだよ、金銭的な話ではなく。と言った。多くの人は音楽で当時の思い出や、沢山の記憶を想起するだろう?僕は目ですることが多いんだ。と言った。

くらら♂
これは価値という言葉の前提条件として、観測者を必要とするからだよね。(無理やり価値論で論ずるならw)
じゃあ、観測者が居ない世界には価値はないのか、って話になるけど、その通り価値はないです。
人間は、人間が滅んだ後の世界を人間の価値観で測れないから、人間がいる世界前提のエコを語る。
そうなると必然的に観測する術を持たない世界にとって、この世界そのものは無価値になる。
だから、ラベリングされるのは人間の価値観になるのよ。
本質的に、この世にあるあらゆるものに価値はなく、人が後からラベリングしてるだけ。
そう考えると、価値論は意味論と本質を共有してるのかもね。

しろ
無価値もまた価値。

憂い顔の騎士

pophat
価値の無いものが指標として存在し続けないと、最終的には全てに価値が無いという結論に至ってしまうかと
もっとみる 







