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上司や親の要求に対して、「NO」を示すことは、反抗的といえるか? 個の意思表示と反抗は分離して認識すべきか?

ジゴロ

ジゴロ

断わるチカラは大事です!
内容にもよりますが、
自分のキャパオーバーな無理難題を押し付けられて
断れないとなれば社会に出たら致命傷になります!

内容に応じてですが、誰に頼まれようが無理なものは無理と断わる勇気をもちましょう!

私は例え社長に言われようが無理なものは無理とハッキリ断ります!
安請け合いして最終的に人様に迷惑かけるようならしない方がマシ!と思ってます。
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🍊🍊🍊

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➡️[年功序列]
年功序列に賛同するかどうか
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春蕾

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言葉の全体で見たら個の意思表示の中に反抗は含まれていると思う。ただ、要求に対して断ることは意見かつ反抗であると思う。バラバラの存在にあると思う。要求にたいして、肯定することやってること同じだからかな。
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ななな

ななな

これ、上司や親が、部下や子にまず反抗してるってなるとどうなるんかな
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原案/対立案
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☕️🚬タカヤッチ

☕️🚬タカヤッチ

反抗している事が意思表示だから分離はしないと思います
子供の頃親から言われたことに嫌だと言ったら
親からは親に向かって反抗してって言われました
だから反抗するって事が意思表示なのだと思います
上司に向かって反抗するのもしっかりとした意思表示だと思います
それは自分なりの理由があるなら良し悪し関係なくだと思います

だから僕は自分の事をいろんな意味でマイペースだなーって思ったりします
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にっきー

にっきー

まず、私の感覚としては、
今回の質問において、分けられるのは
"反抗"か"指摘"かだと思います。
そして、反抗も指摘も、どちらも「意思表示」だと思います。

その前提だと、反抗と指摘の違いは
その意見が
感情的なものなのか、
理性的なものなのか、
で分類されると思います。

つまり、
不満・怒り・反発などが動機→反抗
事実・論理・矛盾などが理由→指摘
だと思います。

重要なのは、
この分類は、話し手と受け手それぞれでの判定があるということです。
つまり、話し手が"指摘"の判定をしていたとしても、受け手が感情的に受け取れば、受け手の判定は"反抗された"になりますし、
話し手が"反抗"していたとしても、受け手が"指摘"と受け取ることもあります。

話し手が感情的か理性的か
受け手が感情的か理性的か
この組み合わせで、話し手と受け手それぞれの"反抗"か"指摘"かの判定が出てくると思います。
(第三者視点が入っても、結局は第三者が感情で受け取るか理性で受け取るかでまた分類される)

結論として、
「NOを示すこと自体が反抗かどうか」
というのは、
どういうつもりで発せられたか、
どう受け取ったかで、分けて考えるべき
だと思います。

補足ですが、
100%感情、100%理性というのは人間には不可能なので、正確には感情と理性、どちらの割合が多いのかで分類される話だと思います。
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朝日

朝日

相手の指示に逆らうなら反抗的なのでしょう。認識は切り離さなくても良くて、自分の意思表示という行動が、反抗的であるかそうでないかという結果をもたらすんやから。
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小鳥遊百舌鳥尾

小鳥遊百舌鳥尾

違う。

よく考えなさい
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空芯菜テラテラ

空芯菜テラテラ

上司や親の要求に対して「No」と言うことが反抗的か、それとも個の意志として尊重されるべきかは、相手がどのような人物であるかによって変わる。
たとえば、暴力的な人物の要求を拒否した場合、どのような不利益や危険が生じるかは想像に難くない。現実には、拒否できない状況も確かに存在する。
しかし人生とは、死までに与えられた時間の連続であり、「自分の人生を生きる」とは、その時間を自分のものとして引き受け、コントロールしようとすることでもある。
そのため、たとえ困難や恐怖を伴うとしても、いつかは「No」を示さなければならない瞬間が訪れる。
私はそれができず、自分の時間を他人に明け渡したまま、長く不幸な状態に留まっていると感じている。
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