さしたる違いを認めない。強いていうならば「疑問」という一人称で終わる精神活動と、三人称多数に影響を及ぼす「破壊」という行為とでは、カテゴリが違いすぎる。その時点で「人間の行動」というカテゴリで考えるほかないため、そのカテゴリに入ると大差はなくなる。それよりも目的地が傲慢さにあるとき。つまり、「自分だけの利益」が、社会を崩壊させることの社会的利益よりも大きいときが問題。
さしたる違いを認めない。強いていうならば「疑問」という一人称で終わる精神活動と、三人称多数に影響を及ぼす「破壊」という行為とでは、カテゴリが違いすぎる。その時点で「人間の行動」というカテゴリで考えるほかないため、そのカテゴリに入ると大差はなくなる。それよりも目的地が傲慢さにあるとき。つまり、「自分だけの利益」が、社会を崩壊させることの社会的利益よりも大きいときが問題。