私達の『曲解』、『誤読』、『誤解』を防ぐにはどうしたら良いか?
たれぱん
例えば、、、
回答を選択にして、その理由をもらうとか、、、あまり長い質問もよくないけどね。
あと、答える側も問題の趣旨を確認するとか、、、そうすると質問者側の気づきにもなるかも。

けい
同じ趣味を持つ友人と話し合い、意見を擦り合わせていくのが、楽しく有効的かなと思います

dagdag56
ガー

のりこ
寒さに抗うシン

くちく
音として正しく読める(発音)ことはもちろん、その単語の意味、文の意味、文章の意味が理解できることが正しく読むこと、と理解できます。
………これって、学校で習った国語だと思いませんか?そうです。正しい読み(発音、解釈)は教育とそれを支える制度、ひいてはその制度を支える国家に支配されています。つまり教育とは、正しく読ませること、なのかもしれません。
さて、ここで皆さんに質問です。国語の授業で窒息しそうな窮屈さを感じたことはありませんか?
漢字を読み間違えたとき。物語を読んでいて、先生の提示する解釈とは違う解釈をしてしまったとき。評論文の感想を述べたときに、自分の意見が教室を変な空気にしてしまったとき。………
お気づきですね。そうです。正しい読みなるものは能力主義的で全体主義的なものなのです。
ゆえに、極端な誤読=曲解=誤解は統合失調的で無政府主義的なものとして、不健康で反体制なものとして排除されます。だから、誤読=曲解=誤解は忌避されるのです。
でも、それって逆説的に誤読=曲解=誤解のなかにしか、自由はないとも言えませんか?あなたが国語の授業で間違いと思わされてしまったことのなかに、自由で豊穣な解釈の世界が広がっているかもしれないのです。
誤読=曲解=誤解を防ぐなんて勿体無い!!!
アナーキーに、そして暴力的に、どんなに世間から相手にされなくても、世迷言を言い続ける。
そんな可能性を私は信じてみたいと思ってます。

シャケ
言葉とは、曲解や誤読、誤解を含むものだろうし、反面、理解や共感を得るものでもあるだろう。
従って、それらを認めつつ、他者と会話をし続けるしかないのだろう。
他者という自身とは異なる言葉を持つ人がいる限り、永遠に。

ぼーず
自分が事実を聞いている、見ているのか、
感想、判断を見ている、聞いているのか、
を立て分けながら聞く
読むこと。
自分が想像、想定を、している時にあらゆる可能性を、検討できておらず、
想定外もありうることを考えながら話を聞くこと。
相手と過ごしてきた時間にもよるが、
人によって話の盛り具合、嘘のまじり具合も違うので、
そこら辺も加味すれば、誤解しずらくなるはず。

セナ
もっとみる 











