【チャレンジ問題】「正しい」と「悪い」の判断について(本文あり)
Aさんが「悪い」ことをしたとする。
この時、非難したり、怒ったり、裁くとき、Aさんの「悪い」を判断しているのは自分である。
Aさんの「悪い」を判断している自分の判断は「正しい」か?
それはなぜ「正しい」といえるのか?

カズ
「悪い」の反対語は「良い」
「正しい」ことと「悪い」ことを対決させ、対人論証で語りかける。
この手の手法は、詐欺、マルチ商法、宗教勧誘で濫用されていますので、賢い人は興味が無いでしょう。
そういう政治団体まで現れる末期です。

おふみちゃん
まず、この問題について考えるには以下点に留意する必要があると思う。
① 他者の行動を"裁く必要がある"という前提
② 法が存在する社会であるか否かによる
① 人の数だけ善悪や正義はあっていいと思うので、思うだけなら思っとけ、で終わり。押し付け合うと争いしか生まないから。でも裁くとなると話は別。責任が生じるため、根拠に基づいて行動する必要性が出てくる。
② 法がある場合→法に則って違法と該当するなら悪い、とするのが一番自他を納得させるのに楽かつ有効だと思う。利用するだけの価値があるか形骸化していないか等、法自体についての複数人によるチェックは必要だと思うけど。
法が存在しない場合→この問題文の意図を無視するようで悪いけど、私は自分のことを「正しい」と思ってない。実際なんでサツ人とか不倫はしちゃいけないのかって明確な理由分かってない。人間の利益のために他の動物56しまくってるし、日本の今の時代では禁忌とされてるだけで一夫多妻が主流な国もあるし。法については、"みんなが生きていく中でしない方がうまく社会は成立するよね"的な制御的側面で設置された流動的なルールっていう認識しかない。罰金系じゃなくて逮捕される系のも自分の人生棒に振るのコスパ悪いから私はしないだけで、善悪でしない選択をしてるわけではない。
何をもって「悪」とするかは、個々人の育ってきた環境やその時のメンタルによるだろうから、一概に言えるものではないと思う。その時「悪」でも、ある時は「正」しかったり、ある時は救いになったりもすると思う。
ティリル
(1) 個人的な正しさ
(2) 社会的な正しさ
(3) 神の視点
(1)個人的な正しさは誰かにとっての悪さというのはあり得ますね。
(2)社会的な正しさ(法律とかその場のルールとか)は「社会の営む上で」という条件下で正しさと悪さが決定できます。
問題なのは(3)です。
神が決めたことなので人間にはわかりませんし、神が決めたからと人間が勝手に曲解して社会的な悪をしまくる場合もありえます。
神の意思に従って正しい行いをする。これが(1)、(2)にとって「悪」になる可能性がある。
つまり回答としては「状況による」ってことですね。
ありきたりな答えですが。

愛善院
「そう思うならそうなんだろ、おまえ(評価者)の中ではな©蒼樹うめ」というのがそのままあてはまる。
全く見ず知らずの他人と接点が生じたとき、自分の基準しか「世界の常識」がないと思っている、自他境界を成長させられなかった他人の寝言にすぎますまい。

yoru
この問いの場合悪いも正しいも自論でしかない。

あきよし
なんらかの行為を悪と判断するときは、
その根拠を提示する必要があるでしょうね。法とかね。
あとは、その行為が事実であったのか。
その行為の結果、何が起こるのか。誰かに苦痛を強いるのか。
つまり、根拠と検証と結果がセットでしょう。
じゃあ、根拠となる基準そのものの正しさはどう保証するのか、というと普遍性が必要でしょうね。つまり、文化や時代を超えても通用する基準なのか?
と考えると厳密には保証できないでしょうね。
なので、”現時点では”、”◯◯という基準に照らせば”、という前提条件の元で判断するしか無いですね。

P
正しいとか正義とか人の数だけあるので、正しいを正しいたり得るものはないと思います。

ニックX🐦🔥

ニギリめし

たか
もし、AさんがBさんにあることをしたとします。AさんはBさんに良かれと思ってしています。でも、受け手のBさんはよく思わず、「悪い」と思いました。Bさんの「悪い」という判断は「正しい」のか。
受け手個人がどう思うかは個人の自由で程度の差もあり無数の正解がある。全て「正しい」
Aさんのしたことが「良い」ことと思う人、何とも思わない人もいる。
話は変わるが、お米の高騰で〇〇券を配布することに対して、賛否両論ある。
それは国民の生活の助けになると「良い」ことと思う人もいれば、ある団体に肩入れしていると「悪い」ことと思う人もいる。「へぇー」と流す人もいる。個人がどう思おうが全て正しい。
個人だけにスポットを当てた時に、
相手の言動が、自分と同じ考え、価値観に対しては「良い」と考えるが、自分と違う考え価値観に対しては「悪い」と考える。また、相手が「悪い」と考えた時は、『自己正当化』が働き、自分は「正しい」と思い込む。それで違和感を個人の中で無くそうと調整する。
各個人が考えることは「正しい」と捉えても良いが、その判断自体が「正しい」内容かどうかは一般大衆の倫理観や法律等によるところにある。
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