全てから「自由」であれば不幸にならないのでは?

Dandelion
たろう☸️
例えば、初期資本主義の場合は政府が全く介入しないので実力がある企業は成長しやすいです
しかし、何にも社会保障がないため、労働者や働けない人は生きていくのに苦労します
全てから自由でも良いが、他人との権利が衝突した場合に何かしらの制限が必要です
ある程度の制限に全員が納得する事が大事かと思います

ナツミカン
安定や安心を幸せと定義する人であれば、不幸ともいえよう。


カラー

まるる
仮に最初から全て自由であった場合、自然とその状態が幸せの基準になる為、自分が幸せであることに気づけない
途中から自由になった場合でも、その状態に慣れて幸せといえる水準が自然に上がるだろうから同じことが言える

若
『真空は空ならず』
という言葉がありますが、『空』とは煩悩から解き放たれた悟りの境地。
ただ、全ての煩悩を排し、完全なる空=『真空』を求めるということは、それは人として正しい姿なのだろうか?
と説いてます。
綺麗な面、汚い面、正しい考え、間違った考え、それらを清濁併せ呑む姿こそが、真の人足り得る『悟り』に繋がるのではないか。
また、変すれば、真空を求め、人であることをやめた者に、悟りは必要なのだろうか?
という問いにもなるかと思います。
それと同様に、全てにおいて自由とは、人として生きる上で本当に幸せと言えるのだろうか?
と思います。

SUZUME
おそらく
『自由』とは
望ましい結果を保証するものではなく、
むしろ
『不確実性を受け入れ、
自分の選択の結果に
責任を持つ能力を意味する』
と思います。
たとえば
2択の選択にあたり、
自分の意思で選択し、
それを外し
災難が降りかかる事もありうる為、
『全てにおいて自由』であっても
不幸にならないとは
限らないのではないかと
考えます。

愛善院
そうねぇ、頭によぎった言葉でも。
植物は、自己の保存や繁殖を越えて、カロリーを蓄える。そんなもんは植物の自由だ。
それを食う動物がいる。自己の保存のために、できるだけ群れで、ぞろぞろと動く。そんなもんは草食動物の自由だ。
それを食う動物がいる。いつ次の獲物が捕れるかわからないから、追いかけ回し、遥かな距離を走る。そんなもんは肉食動物の自由だ。
二本の脚によって歩けるようになって、二本の腕の先にある果実をもぎとることができる動物がいる。いままで見てきた、どれよりも不自由なのかもしれない。
たったひとつ。
この最後の動物が他よりも自由なのは、誰にも強制されることなく、頭のなかに自由そのものを描くことができることだ。
私たちは、自由を得るために進化した。
海から陸へ。
植物から菌類、あるいは動物へ。
自由へ、自由へ。
ありとあらゆる犠牲をはらいながら。
私たちは有限の肉体に、永遠を望む精神を宿している。

チャリオ
不幸にならないとは限らない。

クラマタ
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