「信仰の自由」は普遍的な権利だと思いますか?

カラー

はう
よって信仰の自由は普遍的ではなく、そのときの立場や状況、環境の違いで生じる「可変的」とするのが適してます。
ですので信仰の自由、すなわち依存の自由は平等とは限りません。

愛善院
マイコンや洗脳はあるにせよ、精神の自由は法理的には最も不可侵にあたる自然権といえる。
ただし、安直に「普遍的」と置くべきではない。
えぶりでいそろぱりぴ
そのかわり教えの内容は相当達観した人が考える必要があるでしょうけど
自由の意味を履き違えてる人が日本にも海外にも以前より増えた感じがする
なにかを信仰する人が物事を冷静に捉えられる人が大半ならねえ
利益やエゴ目的の輩が宗教に絡むと一瞬にして偏るというか
すごく人間は愚かというか未熟というか
仮想を信じて止まない連中同士がいがみ合い争って周りが巻き込まれてさ、、、悲しみや憎しみを生んでは負のループといいましか
下らないというかものすごい無駄だなって
今の世の中を見ると人間は失敗作と言われても納得しちゃうんだよな

はがねのめんたる
普遍的なものに自由度は必要ないので、信仰は飽くまでも個人の思想が及ぶ範囲で適用されるべきものだと考えます[ほっとする]
kino

ナトル
明治以後の新興宗教は押し売りや詐欺や 閉鎖的暴行や何かしらの事件を起こす 傾向があります。
明治以後で発展した新興宗教でトラブルにならなかった あるいは事件として取り上げられなかった 宗教団体は稀です ましてや 政治に潜り込むとややこしくするため宗教と〇〇主義は世間の表に出るようになったらば もはや思想の信仰は侵略に近いような過激なものになりかねません
【一個人がなろう系として宗教っぽく 信仰するのは普遍的 かもしれません】がそれが【束になったらば もはや普遍どころか凝り固まった 思想】に発展すると思います

憂い顔の騎士

角もぐら

はい
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