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『花には花の種類だけ美しさの種類がある』が、人の場合は『人の種類だけ美しさがある』とはならず、容姿・収入・学歴のような尺度に価値基準が収束しやすいのはなぜか?

ヒロ

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花へは、美しさのみを基準に、議論がされてます
人へは、美しさ以外の基準も議論されてます

美しさのみで考えれば、人それぞれ美しいのかもしれません。
それ以外の内容を考えれば、いろんなことに目を向けたくなると思います
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シフ

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逆じゃないかな。
例えば辺り一面のヒマワリ畑に行った時、『ヒマワリ一つ一つの美しさの違い』なんて見るか?
全体でなんとなく綺麗だなと言い、『萎んでる数個を残念だ、台無しだ』と思う。或いは『大きくて傷一つ無く、発色の良い特に綺麗な一つ』を見付けて写真を撮る。ヒマワリの美しさなんてかなり限定的な尺度でしか語れない。
人の美しさを語る上では性格っていうかなり評価基準が異なる尺度が存在する。ただ、ヒマワリ畑のように人間は多いから、何らかの基準で一部を切り捨てないと『価値基準が多過ぎるから評価に時間が掛かる』。ただ、絞った後はかなり一人一人個別に見るでしょ。
容姿収入学歴が良い人が即結婚出来るわけじゃない。それは足切り要素であって最終評価じゃない。
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🍊🍊🍊

🍊🍊🍊

花は花としての美しさでは❓
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かや

かや

将来性があるから
とはいっても、実質関係なかったりすると思ってる。
学歴でいい会社に入れるかもしれない
顔で俳優として売れるかもしれない
収入があれば楽して過ごせるかもしれない

どれも理想の押しつけ。
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仁

それは一時期の現象に過ぎない。
この頃は、稼いだ者が賢い、あるいは賢いものが稼ぐ、そういう事が尊ばれています。しかし
今から半世紀くらい前、 『名もなく貧しく美しく』という基準がありました。さらに半世紀前、『生命もいらぬ名もいらぬ、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり』という基準もありました。
でも同時に、 容姿 収入 学歴 と言う、出題者の言われる価値基準も同時にあったのです。
要は生き方の選択、自分の生き方をどう考えるかであって、流行に惑わされることなく、納得できる最後が迎えられればいいなと思うのですが、外れた考え方ですかね?

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たよ

たよ

人の数だけ美しさがあるよ
ただ自認まで持っていけない人が社会や他人の基準でそうだと錯覚している
まぁにたようなものになるかもはしれないけど
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さんかく

さんかく

高速道路のようにお金は時間を短縮できる

ただ道の無い場所に近道を作る方法もある
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クラマタ

クラマタ

花の美しさは質として、人間は量で測られていますね。基本的に花と人間は競いませんが、人間と人間は競うのでこうなっているのでしょう。
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モズク☺

モズク☺

「花は存在が評価されるけれど、人は競争が評価されるように社会が作られているから」
ですかね…🤔💭
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プロキシー

プロキシー

鼻高くて彫りが深くてお目々大きい白人種のほうが美しいって思うけど
あと職場にいるインド人が彫刻みたいな美しい顔でバリイケメンなんだが
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