『花には花の種類だけ美しさの種類がある』が、人の場合は『人の種類だけ美しさがある』とはならず、容姿・収入・学歴のような尺度に価値基準が収束しやすいのはなぜか?
たれぱん
花は愛でるものですが、人の場合は社会生活や結婚など「一緒に生きていく(生活を維持する)」という現実的な利害関係や生存の安定が絡むからこそ、分かりやすいスペック(容姿・収入・学歴など)で測りがちになるのかなと思います。マッチングアプリの条件検索などがそうかな。
とはいえ、一緒に暮らすとなると最終的には条件以上の相性も大切ですよね。私は情緒の落ち着いた人が一番だなと思います。

ヒロ
人へは、美しさ以外の基準も議論されてます
美しさのみで考えれば、人それぞれ美しいのかもしれません。
それ以外の内容を考えれば、いろんなことに目を向けたくなると思います

🎮💧

なめこ
とはいっても、実質関係なかったりすると思ってる。
学歴でいい会社に入れるかもしれない
顔で俳優として売れるかもしれない
収入があれば楽して過ごせるかもしれない
どれも理想の押しつけ。

仁
この頃は、稼いだ者が賢い、あるいは賢いものが稼ぐ、そういう事が尊ばれています。しかし
今から半世紀くらい前、 『名もなく貧しく美しく』という基準がありました。さらに半世紀前、『生命もいらぬ名もいらぬ、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり』という基準もありました。
でも同時に、 容姿 収入 学歴 と言う、出題者の言われる価値基準も同時にあったのです。
要は生き方の選択、自分の生き方をどう考えるかであって、流行に惑わされることなく、納得できる最後が迎えられればいいなと思うのですが、外れた考え方ですかね?
さんかく
ただ道の無い場所に近道を作る方法もある

クラマタ
モズク☺
ですかね…🤔💭

プロキシー
あと職場にいるインド人が彫刻みたいな美しい顔でバリイケメンなんだが

夢和 叶
人間も「みんな違って皆んな良い」と言いますし。
※私は『性悪説』支持者ですが(^_^;)ゞ
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