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『花には花の種類だけ美しさの種類がある』が、人の場合は『人の種類だけ美しさがある』とはならず、容姿・収入・学歴のような尺度に価値基準が収束しやすいのはなぜか?

あーみっく

あーみっく

花の評価基準と人間の評価基準も大して変わらないと思います。
見た目(容姿)はもちろん、育成や販売の容易性(収入)、品種改良や生産者による管理(学歴、、、無理があるか?)など同じような評価基準に置き換えは可能と思います。

ここで言う花の美しさとは、そういう途中過程をすっ飛ばした最終的な評価基準であり、人間にも同様に最終的な評価基準を設けないと同列に語るのは難しいです。

人間の最終的な評価基準、、、参列者の数とかですかねー
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愛善院

愛善院

「花の種類」しか美しさの種類がないから、でありましょう。要するに「タイプ」「カテゴライズ」で何らかの評価をしている。

もしこれが「花は一輪ごとに美しさがある」ならば、人間も非認知的な何かを評価のいくばくかに加えることが可能でしょうけれども、ひとりひとりの人間に対して全てコレをやろうとすると、ちょっと脳の限界を越えるかなぁと思います。仕事じゃなきゃ(報酬がなきゃ)やりませんな
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モズク☺

モズク☺

「花は存在が評価されるけれど、人は競争が評価されるように社会が作られているから」
ですかね…🤔💭
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みゅんひ

みゅんひ

花とは、植物の一部分である。特に、特定の植物の美しい部分のみを指す言葉である。稲の花や松の花を愛でる話はあまり聞いたことがない。色も形も「器官」の範疇だから。
一方、人間は、とある生物である。ゆえに、一部の植物の美しい一部分である、花と対比させるには、あまりに範囲が広いし、的外れに思う。
グラビアモデルと花を対比させるなら、範囲が狭いという点と、中でもとりわけ美しいとされる個体同士である点で、辻褄も合う気がする。この場合なら、命題の『花には花の種類だけ美しさの種類がある』が当てはまろう。
人間と対比させるなら、人間は他の動植物より多様に見えるため(人間の視点だから、だと思う)、食虫植物や藻類なども含めた「植物全般」だと、より近い比較対象になりうるのではないかとわしは思う。派手さ地味さ、有害有益、美醜など、比較できる要素が多いはず。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

人の場合、数値化されている方が判断しやすいから、容姿等の数値化されないものは、好みで決めるのでは
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ナトル

ナトル

固定概念という枠にはめようとするからじゃないでしょうか

世界に一つだけの花という歌が流行りましたが
花農家は切り花 として 店に出荷する時には長さを揃え 規格外のものは廃棄されますだから 店に並んでいる花は だいたい みんな同じ形で並んでいるものです
人も同じで人間社会の枠にはめられるから 個性や 理性が失われ それが常識 みたいな感じになるのだと思います
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仁

それは一時期の現象に過ぎない。
この頃は、稼いだ者が賢い、あるいは賢いものが稼ぐ、そういう事が尊ばれています。しかし
今から半世紀くらい前、 『名もなく貧しく美しく』という基準がありました。さらに半世紀前、『生命もいらぬ名もいらぬ、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり』という基準もありました。
でも同時に、 容姿 収入 学歴 と言う、出題者の言われる価値基準も同時にあったのです。
要は生き方の選択、自分の生き方をどう考えるかであって、流行に惑わされることなく、納得できる最後が迎えられればいいなと思うのですが、外れた考え方ですかね?

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たよ

たよ

人の数だけ美しさがあるよ
ただ自認まで持っていけない人が社会や他人の基準でそうだと錯覚している
まぁにたようなものになるかもはしれないけど
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クラマタ

クラマタ

花の美しさは質として、人間は量で測られていますね。基本的に花と人間は競いませんが、人間と人間は競うのでこうなっているのでしょう。
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プロキシー

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鼻高くて彫りが深くてお目々大きい白人種のほうが美しいって思うけど
あと職場にいるインド人が彫刻みたいな美しい顔でバリイケメンなんだが
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