哲学は自分の考えをも懐疑的に考えることだとすれば、「断定」はできないのではないか?と考えましたが、どう思いますか?

Luna

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loverock67

P
デカルトの「我思う、故に我あり」は疑いようのない自己の証明です。
ただ、絶対的に断定できる範囲と議論を続けなければならない範囲はあります。
例えば数理・論理は断定できますが、倫理や存在価値は常に結論が更新されていきます。
懐疑的な観点に立ちながらも断定できてしまうものと、常に懐疑的にならなければならないものとがあるのではないでしょうか。

カズ
つまり、確かに間違いないモノを持てる人は少ないという事です。
「絶対に間違いない。」と思えるモノを、幾つ持てましたか?生きている間に。
それが「自信」の正体です。
という事は、人間の意識でどうこうできる話ではないという事です。

猫神家の一族

りな

憂い顔の騎士

ナトル

愛善院
断定、推定、仮定、あたりにグラデーションがあることは確かだし、学問として誰かの「断定」がすなわち「真」だと常に言い切れるものではないという保留は持つけれども、判断主体を挟まなかったら「懐疑」すら生じ得ないわけで。
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