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哲学は自分の考えをも懐疑的に考えることだとすれば、「断定」はできないのではないか?と考えましたが、どう思いますか?

あざ

あざ

内容をつまみ食いしやすいよう()内に要約してます。
自身の哲学の解釈を世界の真理内にある一つの概念、ないしイデア界に存在する概念的な何かしらであると断言したい(正解があると考える)場合はボケほど難しいですが不可能ではない(ムズいけどできる)と思います。人間が学問として論じる事のできる物は言葉や文字を通した、即ち言語化した後の概念や考え(人が何か考えるときって言葉にするじゃん?)です。言語というソフトウェアは多分な乱数と高度な前提情報共有の必要性を有しており、知覚可能な範囲、定義可能な範囲、思考や論理を積み上げられる範囲は個々人の経験や価値観によって決まるので真理の理解には不向き(話の理解って聞く人や時代、地域によって差が生まれるじゃん。それで答え1個に絞るの無理くない?)です。ただ、もしやりたいなら言語を超越した別のアプローチも視野に入れなければいけないと思います。(もし断定できるなら言葉を使っちゃダメだよね)
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Luna

Luna

哲学は人それぞれの思想のことなのだと考えれば人の数だけあるので断定する必要もないのかも。と考えます。
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🍊🍊🍊

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#SQL #論理哲学
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loverock67

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物事を断定して捉えてしまうと、その先、疑いの余地がなくなるから、思考そのものが停止してしまうので、哲学をしようとするなら、自分の考えにさえ懐疑的でなければならない
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P

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懐疑的な哲学者でも絶対に断定できないわけではないと思います。

デカルトの「我思う、故に我あり」は疑いようのない自己の証明です。

ただ、絶対的に断定できる範囲と議論を続けなければならない範囲はあります。

例えば数理・論理は断定できますが、倫理や存在価値は常に結論が更新されていきます。

懐疑的な観点に立ちながらも断定できてしまうものと、常に懐疑的にならなければならないものとがあるのではないでしょうか。
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カズ

カズ

普通はそうです。

つまり、確かに間違いないモノを持てる人は少ないという事です。

「絶対に間違いない。」と思えるモノを、幾つ持てましたか?生きている間に。

それが「自信」の正体です。

という事は、人間の意識でどうこうできる話ではないという事です。
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猫神家の一族

猫神家の一族

貴方の考え方を大切にして下さい[にこやか]
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りな

りな

「自分の考え=思想」と言えるようなものは、時間も精神も削って考え抜いたもののことを言うと思うから、本当は断定したいくらいだけどね。でも、常に懐疑的に生きたいな。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

断定しなくてもよいのでは、永遠に考え続ければいいのではないかな。早急な解や断定を求める必要はないのでは?
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ナトル

ナトル

私もそう思います おっしゃる通りだと思っています
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