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哲学は自分の考えをも懐疑的に考えることだとすれば、「断定」はできないのではないか?と考えましたが、どう思いますか?

Luna

Luna

哲学は人それぞれの思想のことなのだと考えれば人の数だけあるので断定する必要もないのかも。と考えます。
哲学哲学
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loverock67

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物事を断定して捉えてしまうと、その先、疑いの余地がなくなるから、思考そのものが停止してしまうので、哲学をしようとするなら、自分の考えにさえ懐疑的でなければならない
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

断定しなくてもよいのでは、永遠に考え続ければいいのではないかな。早急な解や断定を求める必要はないのでは?
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愛善院

愛善院

判「断」して定め置くことができないと「定義」が作れないと思われる。

断定、推定、仮定、あたりにグラデーションがあることは確かだし、学問として誰かの「断定」がすなわち「真」だと常に言い切れるものではないという保留は持つけれども、判断主体を挟まなかったら「懐疑」すら生じ得ないわけで。
哲学哲学
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SUZUME

SUZUME

哲学的な思考においては、
深い洞察へと目指す、
たどり着く為にも
『思考と答えの成長』に
答えを断定しない事自体ではなく
その『姿勢』が
非常に重要であると思います。

思考の幅を広げ
本質を深く洞察し、
自己と他者との対話を通じて
成長し続ける為の重要な態度です、
それは
知識の蓄積を超えて
『知恵』を求める、
哲学本来の精神に通じている
と考えます。
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you

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それはちがう!(断定)

と言う冗談?はさておき、自分の考えの否定を認めている、否定されるまではこれであると考える
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カズ

カズ

普通はそうです。

つまり、確かに間違いないモノを持てる人は少ないという事です。

「絶対に間違いない。」と思えるモノを、幾つ持てましたか?生きている間に。

それが「自信」の正体です。

という事は、人間の意識でどうこうできる話ではないという事です。
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としゆき

としゆき

だとしたら、"哲学は自分の考えをも懐疑的に考えることだとすれば、「断定」はできないのではないか?と考えましたが、どう思いますか?"という質問に至るまでの思考と判断による断定の積み重ねすら不可能であることが導かれ矛盾しているので、誤りではないかと思います。
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りな

りな

「自分の考え=思想」と言えるようなものは、時間も精神も削って考え抜いたもののことを言うと思うから、本当は断定したいくらいだけどね。でも、常に懐疑的に生きたいな。
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ナトル

ナトル

私もそう思います おっしゃる通りだと思っています
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