哲学は自分の考えをも懐疑的に考えることだとすれば、「断定」はできないのではないか?と考えましたが、どう思いますか?

Luna

loverock67

憂い顔の騎士

愛善院
断定、推定、仮定、あたりにグラデーションがあることは確かだし、学問として誰かの「断定」がすなわち「真」だと常に言い切れるものではないという保留は持つけれども、判断主体を挟まなかったら「懐疑」すら生じ得ないわけで。
SUZUME
深い洞察へと目指す、
たどり着く為にも
『思考と答えの成長』に
答えを断定しない事自体ではなく
その『姿勢』が
非常に重要であると思います。
思考の幅を広げ
本質を深く洞察し、
自己と他者との対話を通じて
成長し続ける為の重要な態度です、
それは
知識の蓄積を超えて
『知恵』を求める、
哲学本来の精神に通じている
と考えます。

you
と言う冗談?はさておき、自分の考えの否定を認めている、否定されるまではこれであると考える

カズ
つまり、確かに間違いないモノを持てる人は少ないという事です。
「絶対に間違いない。」と思えるモノを、幾つ持てましたか?生きている間に。
それが「自信」の正体です。
という事は、人間の意識でどうこうできる話ではないという事です。
としゆき

りな

ナトル
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