銭湯や温泉などで局部を隠すまたは隠さない行為について、その行動原理は何だと思いますか?
私は、昔は「局部を見られるのは恥ずかしい」と思い隠していましたが、「同性に対しわざわざ隠す必要もないし、見られていることを変に意識してるみたいで逆に恥ずかしい」と思い隠さない時期を経て、今は「粗末なものを世間様に露わにする行為は迷惑千万」と思い隠すようになりました。
皆さんはどのような思いで隠したり隠さなかったりしますか?

マヤカ
余計な情報を人にお出ししないため。。。?

カラス
そんな感じなんじゃねーかね
鷹番
一つは自分が見られて恥ずかしい、というもの。
もう一つは他人に不快なものを見せては申し訳ない、というもの。
僕は50代の男だが、後者の心理で、雑だが隠す派。
若い頃は前者の心理だった気もするけどあんま覚えてない笑

愛善院
うーんとね、ハッ……。
ちょっと今日は民俗学な脳なので、LGBTQを出来るだけ端折って、民俗学的な象徴としてのお話だけ。
普段隠されているべきところを人前にだすのは、その人を呪う行為です。
「あかんめぇ」「あっかんべー」など、マブタの赤いところや、舌を相手に見せるのはだいぶ薄れた現象とはいえ、現代にも残っています。
ファミマの前で大谷がオニギリに口を開けているノボリをみて、日本はこうした基礎民俗すら忘れたのだなぁ、とは思いましたが(本来、口を開けてみせる、食べかけを見せるなども、呪わしい行為です)。
この点からすると、赤身は本来みせてはいけません。
皮さえ被せておけば最低限、他害はありませんが。

ジェリ夫

よん
人が自分を見ている。人が自分に対して何らかの評価をする。自分が人に不快感を与えるかもしれない。これがなければ隠すことがまず頭に浮かばない。
すっぴんで外に出るかどうかも似ていて、歳をとってきて「恥ずかしい」という、より「汚いものを見せて人を不快にさせてはならないから、最低限のメイクはしよう」と思うようになりました。

愛善院

あーちゃん
肩で風切って歩く₍₍ฅ;꒪ꈊ꒪;ฅ₎₎

あー

憂い顔の騎士
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