知性とは他者のバイアスが“賢そう”と誤認した結果生まれるラベルや集団心理ではないのか?

ココ🥃
哲学も結構だけどまずは国語のお勉強なさい。
それともバイアスだの集団心理だのと難しい言葉を覚えたので、使ってみたくなったのかしら?
知性とは思索や探求によって個々の内面に蓄積されるものであり、他者が外面からいじくり回せる性質のものじゃないはずなんだけどなぁ...
ふふ、笑っちゃう。

憂い顔の騎士

愛善院
少なくともひとつの対象に腹案を数通り抱えて同時に脳処理で検証している人のほうが知性があるといえます。いうなれば、脳の働き方として。ロンドンの地下鉄のようなネットワークがある人のほうが、一日朝と夕に1便ずつしかバスが走らないうちの田舎のような人よりも、知性はあるといえます。

クロスケ
知性って経験や知識とかを
簡単に他者に伝えられるかのことじゃない?

はな

角もぐら
主観が客観を超えて神性を獲得する瞬間を望む視線

ひたち
が、誤認?
「本当の賢さ」がありそうな口ぶりですね

カズ
このことに客観性を持たせるのであれば、その文章が何人の人に感銘を与え、動機を与えたかという点につきる。
言うまでもなく、その文章の根底にある考えが変わる様では文章とは呼べない。
文章を書くという人類の獲得した行為は、小学生の作文ではないのだから。
そういう意味で認知バイアスに依存し得ないし、大衆迎合にはなり得ない。
知性とは、人である為の三要件の一つに過ぎないのであって、人である事を諦める材料では無いということです。

すずめ
正しい判断を下すために必要なものであり、これがなければ人類はとっくに滅んでいたでしょうし、ここまで繁栄はしなかったでしょう。
としゆき
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