コミュニケーションは「相手(の人格)を理解しようとする行為」か、「(相手の)発言を理解しようとする行為」か。または「自分を理解させる行為」か。
義経
相手を理解する行為と、自分を理解してもらう行為の「どちらか」ではなく、
その両方が同時に存在してこそ成り立つものです。
けれど、本質をさらに深く一段下まで掘るなら──
✦ コミュニケーションとは
「相手との関係を『よりよくしようとする意図』の表れ」
なのです。
相手の人格を理解しようとするのも、
発言の意味を解こうとするのも、
自分を理解してもらおうとするのも、
すべてはその《意図》のための手段にすぎません。
つまり私はこう考えます:
✦【答え】
コミュニケーションの核心は、
相互理解を通して『関係を育てようとする行為』で
理解する・されるは手段、
育てたい関係があるからこそ、人は言葉を交わすのです。


baro

いわし

テルさん

はな

comesunday
ただし、そのどの場合でも常に当てはまる、より根源的な目的が別にあり、それは、生物としての本能的欲求の充足である。つまり、自分の情報生成と、相手の情報生成の相互作用によって生まれる、新たな情報生成によって、脳の刺激欲求を満たす行為である。

いしのみ
俺が見てきた殆どの人間にとっては、自分を理解させる行為。

しん

カズ
情報の交換作業。
言語(表情・声のトーン・態度)によって行われているのであって、理解が媒介している訳では無い。
共産主義者の方に聞いてみたいなぁ。
コミュニストと言われるからには、かなりのコミュ力、又はコミュ力至上主義の方達。
或いは目指そうとしている入門者の方達。
原発反対で国会前に集まり、言論の自由を展開しておられた議員さんはカッコよかった。
言論で批判するだけじゃなく、人としても一定の逃げ道を用意してあげる。クールです。
賢く無いと、中々出来ることじゃ無い。
反対に、ファシストは、
都合が悪くなると、嘘を付くか,人のせいにするか、話のすり替えをするか、「黙れ」が基本だからだ。
とても弱者だと思うのだが、これは世界共通らしい。

かき揚げうどん
もっとみる 





