ここには10人いるが、椅子は1つしかない。みんなこの椅子に座りたい。そのためには自分が椅子に座る権利を手にする必要がある。この権利はどのようにして決められるか?

星川

さ丸
この状況ってただの“争い”じゃなくて
社会そのものの縮図だと思う
効率やデータや最適化で決めようとすると
結局は強い者や声の大きい者が勝つ
それは左脳的な公平で
手続きは平等でも こころは置き去りになる
でも本当の公平は
やさしさから作られるとおもう
ケガしてる人がいたら座らせたい
体調の悪い人がいたら譲りたい
その場の温度 感じ方 文脈
右脳で“共鳴”しながら決める公平がある
じゃんけんはたしかに平等だけど
平等と公平はちがう
全員が同じ条件に立つことよりも
その瞬間いちばん椅子を必要としてる人を
みんなで感じ取る力のほうが
人間らしいとおもう
結局
椅子の取り方は文明の価値観そのもの
左脳の社会は効率で決め
右脳の社会はやさしさで決め
前頭前野の社会はそもそも“椅子の意味”を問いなおす
ぼくは
10人で1つの椅子をどう扱うかより
10人のあいだで
やさしさがどう循環するかのほうが
ずっと大事だと思ってる

ゆずぼる

りな

コーユー
私とあなたでこの1つの椅子を10人がけの長椅子に変えちゃいませんか?

baro
埴輪
自分の子供の臓器移植の権利であり
最後の救命ボートに乗る権利であり
何かを生存させる是が非でも手に入れたい
権利を椅子と表現してる訳
その上で他の9人を差し置いて座る権利をどうやって決めるか?
ここが閉鎖された空間で司法が介在しないならまぁ暴力だろうね
司法はそうならない為にあるけど、それが介在しないなら原初のルールが適用されるだろうね

loverock67
とかろう
みんなが座りたい椅子をぶっ壊し
「椅子に座りたい」という願望から
「椅子に座りたかった」という
感想に変えてあげる
めでたし めでたし

からみだいこん
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