なぜ多くの人は語りたがるのだろうか?
多くの本や論文で人は聞くよりも話した方が満足感があるというのが定説です。それを踏まえてお願いします。「私はちがう」とか「聞来たい人も多くいます。」は前提からずれるのでやめてください。

しん
その問いを聞くと、私は少し立ち止まる。
「多くの人」とは、どれくらいなのだろう。
そして、語っていることと、語りたいことは、本当に同じなのだろうか。
人は、話したいから語ることもあれば、分かってほしいから語ることもある。
伝えなければならないから語ることもあれば、言葉にして初めて、自分の思いに気づくこともある。
反対に、語りたくても語れないこともある。
そう考えると、私たちが目にしているのは「語りたい人」だけではなく、語ることができた人なのかもしれない。
語らなかった人の沈黙は、声にならないぶん、私たちには見えにくい。
そもそも、人が「語る」とは何なのだろう。
言葉にすることだけなのか。
黙ることも、距離を置くことも、何かを選ぶことも、その人なりの語りなのか。
私たちは、語られたものだけを見て、人を理解したつもりになってはいないだろうか。
語ることを考えるとき、私はいつも、言葉になったものの向こう側にある、語られなかったものにも目を向けていたい。

ラスカル
自己肯定感を上げたいから?
陶酔したいから?
承認欲求を満たすため?

サリンジャー

第四検閲室
私もよくこの状況に陥ります

K
人は感情を表現するのに【言葉】を多用する。
【言葉】は二人称(?)であり、「言う側」と「聞く側」に分かれ、【言う側=先手】【聞く側=後手】と捉えるとき、先手の方が有利であるから…語りたがるように思う。
逆に『後の先を取る』ことが出来たら、連戦連勝間違いないが、これには【社会的地位】が必要なことが多い。

kaede
興味がある事は語りたいのでは?
人それぞれ興味は違うしね〜🤔

かいけつゴスロリ

めい

ふー
同じ悩みを持つ人を救いたいのか
言ってスッキリしたいのか
それ以外か
人によって動機が違うかもしれないので
動機はいろいろ多くあると思われます。
言論の自由ですかね、
まあ、語りたいのでしょうね

八咫烏
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