サピアウォーフ仮説というものがあって、その人の考え方や価値観は母語に影響されるというもの。それは少なからずあると思う。それに自分の思考する時のことを考えてみても、僕は頭の中で喋りながらものを考えてる(そうでない人もいるらしいけど)。自分の考えは言語なしではここまで研ぎ澄まされなかったのではないかと感じる。また、言葉に沿って新たな感情に気付くこともよくある。例えば「エモい」は、その言葉を知る前には存在すら認識していなかった感情(元からそこにあったのだろうが)を認識することに役立っている。だからこそ多くの人が寄ってたかって使いたがるのだろうし。英語を日本語に翻訳する時に、その言葉とイコールとなる言葉が日本語にはないという話も聞く。これまで出会ったことのないニュアンスの言葉に触れるとその分見識は広がるだろう。結論、日本語以外の言語が理解できると価値観は広がる。もっと言えば日本語の幅を広げるだけでも価値観は広がる。